僕らは全員演技をして生きている。つまらないことでも、楽しいフリをして、自分をも欺いて毎日を過ごしています。
自分にある価値観を無視して、世の中にある主流の価値観に、自分をハメにいこうとする。
- 仕事は身も心も捧げないとダメ
- 結婚しないとダメ
- 子供を好きじゃないとダメ
自分の価値観にフィットしているなら別に良いのですが、そうでないのに従ってる場合も多い。

・社会の価値観に、自分を当てはめようとしている
という人にむけて書きました。
この記事を読んでくだされば、

すべきことは簡単。たった二つだけ。
自分と向き合うためにすべきこと
- SNSをやめる
- モチベーションの源を発見する
他の人の自己PRは見ない、左右されない。そして自分が「なぜそういう行動をとるのか」という行動原理を把握するんです。

こう言うと、多くの反対意見が出るでしょう。「誤りだ!」と指摘する人もいるでしょう。しかし、

これは正解。自分がどう思っているか、これは事実として存在してる。誰も否定できない。
一般常識や他の人の意見なんか関係ありません。あなたが、僕が、そう思っていればそれは事実としては正解なんです。人生それで良いじゃないですか。
この記事のまとめ
- 自分を偽り続けると、どれが本当の自分か分からなくなる
- 自分のモチベーションの源を探ることで、自分のしたいことが分かる
- 自分が感じたならそれは間違いなく事実、誰にも否定できない
記事の前に自己紹介!

・一浪・一留を経て難関国公立大学理系を卒業→大手ブラック企業→超大手企業
・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました
・当ブログで120万文字を執筆、累計PV数は100万突破
・30歳で貯金1,500万円達成
みんなアカデミー賞レベルの演技をしている
ダウンタウンの人気番組「ガキ使」でのフリートーク。「行為中に女性が演技しているかどうかを、どうやって見分けたらいいですか?」という質問が寄せられました。

と松本人志が答えていました。さすが。
しかしどうでしょうか。会社のフロアで、好きでもない人に誘われて嫌々参加した飲み会で、耳元で「はい!カット!」って叫んでみたら。
きっと多くの人が「お疲れ様でした〜」って素に戻ることでしょう。それくらいみんな演技をして生きているんです。
自分に与えられた役割を演じてる。求められているリアクションを人に演じて見せている。
映画化された小説「ヘルドッグス」。この作品の主人公は警察の潜入捜査官。裏社会に入り、信用を得るために、とにかく手を汚しまくる。
「警察かも」と勘繰られてはいけないし、裏社会の情報を得るためにトップに気に入られないといけない。とにかく極悪非道な人間を演じ切る。
潜入して何年も経つうちに、ずっと演技を続けてるうちに、主人公はふと悩むわけです。「あれ!?どっちが本当のオレなの?」って。
「そんなわけないやん」って、あながちバカにもできない。潜入捜査中は人と会っている時間は、ずっと裏社会の人間のフリをしている。
1ヶ月に1回だけ、場末のマッサージ店に行き、そこで情報を味方に共有する。その1時間程度の時間しか、素の自分に戻れない。そんな生活を何年も何年も続ける。

僕らはある意味で潜入捜査官みたいなことをしているのかも。周りの期待や雰囲気に流されて、本当の自分ではない行動や発言を繰り返してる。
他の人から「この人はそういう人なんだ」って思われるくらい自然なアカデミー賞レベルの演技をしてる。
心までごまかすと、人生は詰む
演技をするのは悪いことじゃありません。楽しいフリをしないといけないシチュエーションは数多くあるでしょう。
しかし演技をし続けて、自分を欺くのは絶対にダメ。

世の中にある様々な価値観。全部が全部自分にあっているとは限りません。というかあっていないものの方が多い。
例えば僕でいうと、こういったもの。自分の価値観にはあまり沿っていない。
- 仕事は身も心も捧げないとダメ
- 結婚しないとダメ
- 子供を好きじゃないとダメ
あくまで個人的な考えですが、自分の価値観に沿っていないなら従わなくても良いんじゃないかなって思ってます。
とはいえ否定する気もさらさらありません。この価値観を正解としている人がいるのも事実で、別にそれはそれで良い。ただ僕と違うってだけ。
もしここで僕が「子供好きじゃないとヤバい人に見られる、好きなフリをし続けよう!」って自分を追い込むと、どこかでおかしくなる。
あなたの価値観がなんであれ、別に大丈夫です。法律に違反したり、他の人に多大な迷惑をかけない限り、基本的には問題ありません。
「仕事が楽しくない」って人は、それでもOK。給料分働けば、それで十分。もうプロです。
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仕事したくない人に向けて。まずは「給料分」さえ働けば問題なし。仕事が自分のアイデンティティになっていなくても構わない。
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「社会人たるもの〜しないとダメ」、「大人なんだから〜しないとダメ」、こういった意見もあるでしょうが、気にし過ぎても良いことはありません。
「仕事をバリバリこなして出世する」が、自分の意志に沿ったものならすればいい。「仕事はほどほどにしてプライベートを充実させる」ことを望むなら、それに従うのがベター。

自分を偽ってしたくないことをする。楽しいフリをし続ける。一時的には良い、必要なシーンもある。でも長期間続けても、自分の首を絞めるだけ。
自分と向き合う時間を作る
自分で自分を騙さない。演技をして過ごさない。そのために何が必要でしょうか?
自分と向き合うんです。自分が何を望んでいるかを把握するんです。
噂話好きな僕らは、他の人の動向や視線はいつも気にしている。しかし自分の内面にそこまで注意は払えていません。

自分と向き合うためにすべきこと
- SNSをやめる
- モチベーションの源を発見する
SNSをやめる

という方もおられるかもしれません。
しかしSNSはやめても問題ない。難しそうであれば頻度を下げる、ビジネス目的だけに使うなど制限をかけてしまうのもひとつです。
SNSは確かにメリットがあるとは思います。知人の近況も知れて便利な感じもする。
しかしSNSで得られるメリットって虚構な気がするんですよね。血の通った情報じゃないというか。
確かに僕も昔はバリバリSNSに傾倒している時期がありました。特に大学生の頃にTwitterにハマったんです。


しかし今やこのブログを運用するために使っているくらい。僕のSNSの利用状況をまとめてみます。
- Twitter
ブログの運用時に使うのみ、本アカは5年以上ログインせず - Instagram
見る専門だったけどアプリを消した、投稿したことなし - Facebook
10年近くログインしていない - TikTok
そもそもあんまり分かっていない

しかし、しかしです。弊害は全然ない。自分の時間が増えました。他の人に向かっていた興味が、自分の内側に向くようになったんです。
SNSをやめて感じたこと
- 自己承認欲求はSNSでは満たせない
実際にリアルに触れ合う人の中で感じるもの - 知人の近況を知らなくても問題ない
本当に重要なことなら連絡がある、本人の口から聞くのが一番良い - SNSだけの繋がりは、繋がりではない
SNSで知り合っただけの人よりも身の回りの人を大切に
SNSで得られるメリットに実体はない。内省のために自分の時間にあてた方が絶対に賢い。自分の感情にもっと注目する方が合理的。
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SNSの危険性は侮れない。SNS断ちをすることを決意した。自分の人生は自分で守る。
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モチベーションの源を発見する
SNSをやめる、もしくは頻度を下げて時間を確保したとします。

僕らの行動ではなく、その奥にある行動原理に注目するんです。なぜ「そんな行動をとるのか?」ということを考えてみる。
例えば「ヨットで世界一周をしたい」ということを将来の目標にしている人が2人いるとします。パッと見ると同じモチベーションな気がする。
しかしそれぞれ違う事情があるかもしれません。
- 亡くなった父親の夢だったから、引き継ぎたい
- 地理が大好きで、自分の目で世界中を見てみたい
もしこのような思いがあるなら。モチベーションの源は全く別物。前者は「使命感」で、後者は「好奇心」といったところでしょうか。
同じことをしていても、なぜその行動をとったのかは人によって違うんです。他の人と同じことをしていても、あなたの根っこは違うかもしれません。



思わずとってしまう行動とは?
- 映画を観る
- 読書をする
- 日本語ラップを聴く
- 漫才を観る
- ラジオを聴く
- ファッションにこだわる
- ランニングをする
- ブログを書く
- 会話やチャットの中で、どうでも良いボケをする
ひとつひとつに特別感はない。変哲はなさそう。
なぜ僕はこれらの行動をとるのか。インプットをしてアウトプットして、外見を装おって、一体なにがしたいのか。考えて気付いたんです。
モチベーションの源はコレだ!
- 人を楽しませたい!
- 人を「あっ!」と驚かせたい!
そう。僕が何かにモチベーションを感じる時は、この二つの要素が絡んでいる場合ばかり。
あなたにもそんなモチベーションの源泉があるはず。それを知ることで、自分がしたいこと・したくないことがはっきり分かるようになる。
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自分でそう思うなら、それが正解
交渉術や対人関係に関しての古典中の古典「ハーバード流交渉術」。この本の中で面白い教えがあります。

この発言を否定するコメントを寄せることはできます。「そんなことはない、子供は可愛い」とか。
しかしちょっと発言内容を変えてみます。

どうでしょうか。この意見に対して、反対意見を言うことはできるでしょう。しかし否定することはできない。
自分がそう思っているのは間違いなく事実。つまり意見に対して反対することはできても、否定はできない。
「私は〜だと思う」、これは事実としてちゃんと存在する。だって実際にそう思ってるんだから。


正しいか正しくないかは分かりません。しかし事実として存在するんです。あなたが感じている、それは誰にも否定できません。
自分がいる環境や属しているコミュニティを変えれば、当たり前ですが周囲の人が変わります。そうなると周りの価値観も変わります。
周囲の同調圧力も、そのうち変わる。進学、引越し、異動、転職、何かイベントが起こると周囲が一気に変わる。でも自分の価値観は変わらない。


まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 自分を偽り続けると、どれが本当の自分か分からなくなる
- 自分のモチベーションの源を探ることで、自分のしたいことが分かる
- 自分が感じたならそれは間違いなく事実、誰にも否定できない
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!