退屈なんだろ、気を抜いたら「退屈だ」って悩むんだろ。分かる、分かるんだ、僕も一緒だから。

・人生が最近面白くない
という人にむけて書きました。

人生のラスボスは退屈。生きているけど数多くの悩みが出てくる。もっともタチが悪く、太刀打ちできないのが退屈。「退屈には神々も舌を巻く」、ニーチェも言ってた。
僕は仕事ができる方ではない。だから人生の悩みを「仕事ができない」にすり替えることにした。こっちの方がまだ、手触り感のある悩みだから。
人生に冷めてしまっている気がする
退屈な日々を送っている気がする
恵まれた状況なのに、どこか満たされない思い
30歳を過ぎて、もうすぐ2年が経つ。気づいていたけど、目を背けるようにしてた。しかし逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。現実を直視しよう。

早い話が、最近おもんないのだ。もったいない。人生一回きりだってのは分かってる。
30を越えたとて、世間的に見れば、まだ若いと思う。日本の平均年齢は48歳とかだし。それなのにマインドが老いてきてしまってる。
ちなみに僕の状況はこんな感じ。
- 年収約800万円
- 一人暮らし
- オーバー30
- 独身
結婚願望、子育て願望まるでなし - 資産2,600万円
- 健康診断の結果はオールA
自由である。お金にも余裕がある。だけどなぜか、どこか、退屈なのだ。昔ほどの熱量で生きていない気がする。
かといって暇つぶしで結婚したくない。それはそれでめんどい。子供も嫌いだ。世話するくらいなら、猫飼いたい。
退屈という病は、非常にリーサルであると思う。捉えどころがない。「年収が低い」、「結婚できない」などの方がまだマシ。次にすべきアクションは明確だから。
島田紳助が「人生で悩みは持ってた方がええよ。ないと小さな悩みを、大きく考え出すようになるから。」と言っていた。
分かる。一人暮らしで生きていける収入はある。そんでもって健康。人生における大きな悩みがない。その結果、退屈な感情を持て余してる。
退屈をぶち壊したい
ブログは発信媒体であり、読む人になんらかのメリットがあるべきだと思ってるし、これまでもそうやって書いてきた。
ブロガーたるもの、役に立つ情報、なにかしらのTo Do、お金の知識など、読む人に益になるような記事を書くべきである。
しかし今回は違う。自分の悩みに、向き合う、そんな記事。自己セラピーのニュアンスが強いし、読む人に明確な回答を提示するものでもない。

人生のバイブルのひとつ「デスノート」。中学校の時に連載、厨二メンタルにガンギマリ。大場・小畑両先生がやってくれました。
読んだことのある人は多いはず。でも「一話目のタイトルは?」と聞かれて即答できまっか?

デスノートの記念すべき一話目のタイトルは、「退屈」なんですわ。月の気持ちが、今になってやっと分かる。全然人生は計画通りではない。
退屈をぶち壊したい。退屈を飼い慣らしたくない。人生の、ありとあらゆる瞬間が、刺激に溢れていたい。
仕事への熱意はもうない、いや最初からなかった
「怒られたくない」だけが仕事のモチベーション
ここで多くのサラリーマンにとって、人生で大きな要素を占める仕事について考える。
まず前提として僕は仕事ができない。中の下がいいとこ。仕事がめっちゃできるから、退屈ってわけではない。まるでない。
この仕事が鬼門。僕は新入社員の頃から、「仕事は適当でいいや」ってタイプの人間だった。「出世なんぞしたくない」と考えていた。
思考は現実化するとでも言いますか。引き寄せの法則ってやっぱりあるんだとも言いますか。念願かなって、僕はどうも出世することはなさそうだ。
身近にいる同年代を見渡しても、自分は頭ひとつ下な気がする。まぁでも仕方はない。
僕はびっくりするほど責任感がない。結婚したくないのも、不要な責任を負いたくないからだ。この姿勢が如実に仕事にも現れていると思う。
僕が社会人になって、3年近く経った頃に、コロナがやってきた。そこからは在宅勤務メインになった。思いっきり、のびのびとサボった。
「怒られたくない」が、僕の仕事の唯一のモチベーションだった。だから指示された、必要最低限のことだけを、終わらせる。プラスアルファはなし。
社会人歴は10年近い。ただ実際に本気で汗水垂らして働いた期間は、ギュッとすると4年くらいだと思う。そりゃ仕事ができるようになるわけがない。
「仕事ができるようになりたい」と思ったきっかけ
遅まきながら、仕事ができるようになりたいと思うようになった。ただ出世を目指さないスタンスは変わらない。
「(周りの人と比べて、悪目立ちしない程度に)仕事ができるようになりたい」、ここが理想。目指せ、中の上。
仕事なんて別に面白くない。いずれFIREするから、一生の付き合いにはならない。ではなぜ、仕事ができるようになりたいのか。
それは仕事が人生の時間の多くを占めているからだ。これでしかない。仕事への哲学などなにもない。楽して金がもらえるなら、そちらに流れていきたい。
想像してみる。毎日8〜10時間、同じメンバーで、延々とテトリスを朝から晩までプレイさせられるとする。
テトリスが下手だと、怒られるし肩身が狭い。逆にテトリスでハイスコアだと、その中で威張れる。
テトリスそのものには興味がない。ただ一定時間テトリスをさせられ、そのテトリスの結果で、ああだこうだ言われる。

このマインド。このテトリスを仕事に一括変換してほしい。
先ほどの話で、人生に退屈なのは、大きな悩みがないからだと書いた。だから僕は「仕事ができない」を悩みとして捉えようと思う。
「仕事ができない」という悩み。「人生退屈だ、どうしよう」という悩み。おそらく「仕事ができない」という悩みの方が、悩みとしては扱いやすい気がする。
仕事が上手くいかず本気で悩む。これで生活から、退屈という感情が消えるのであれば、安いものかもしれない。
趣味の熱量を冷まさずに生きる
退屈の反対は、快楽ではなく、興奮である
好きなものを、好きでい続ける
僕が僕であるために、勝ち続けなければならない。この尾崎の武闘派スタンスをちょっと変える。

退屈の反対は、快楽ではない。興奮であり、没頭なのだ。ハマる感覚こそが、退屈を駆逐してくれる。
仕事が趣味みたいな超人類は、それでOK。なんならちょっと羨ましい。しかし僕はそうではない。
月曜日の朝はしっかり仕事が嫌だし、金曜日の夜はめっちゃ嬉しい。水曜日の昼食を食べている時に、一週間半分終わったなって毎回噛み締めてる。
そんなタイプの人間は、仕事以外での楽しみを持っておかないといけない。must。なんのために生きているのか分からなくなる。
めっちゃ偏見だけど、「そんな楽しみはない」って人は、結婚してしまうのも良いかもしれない。
家庭を持つと忙しくなる。子供もできればなおさら。田舎は結婚が早いっすみたいな話も多分これ。家庭に時間を使うようになると、退屈からは離れられる。
放っておくと、好きなものへの熱量は冷める
大人になると、心の磁力は弱まる。好きなものの熱量は、徐々に下がっていく。昔ほどのテンションでマンガも読めなくなる。
しかしここで自然の流れに身を任せてはいけない。アツく、なんならちょっとウザく、語れるジャンルがない人。つまらない。おもんない。

ちなみに余暇は大事だけど、「何もしなくて良い」という時間が一日に7時間以上にあると逆に不幸になるらしい。
趣味の時間は、退屈を感じない
人に自慢できない趣味の方が良い
結婚願望のない、子供も嫌い、ペットもいない。でも猫はちょっと飼いたい。実家から離れたところで一人暮らし。仕事の熱量もさほど。
そんな僕が正気を保って毎日を生きていられるのは、趣味があるから。日常的に何かに没頭している時間があるから。
趣味じゃなくて、仕事でも、ボランティアでも、退屈と対極にある時間を過ごすことができればなんでもOK。
例えば僕の趣味はこんな感じ。全部5〜10年は継続してるもの。
- ブログ
文章を書いてる間は、心が整ってる - 読書
月に5〜10冊ペース - 映画
年間120本ペース - 散歩
ラジオ聴きながらの散歩、アガる - ランニング
休みの日だけ、5km程度


趣味を考える上で、注意しておいてほしいこともあわせてご紹介。それは人の目を気にしないこと。
- ブログやってることを誰にも言ってない
- プライベートでSNSをやってない
- 本や映画の趣味が合う人が周りにいない
僕はこんな状態。ブログのことは人には言えないし、本や映画を見ても誰かに話すこともない。
SNSもやってないから、誰かにアピールする機会もない。完全に自由。だからこそ続いている気がする。
「あえて始める趣味」は、もはや趣味ではない
実は今の趣味は、完全に取捨選択した後のもの。ここまでに定着しなかった趣味はわんさかある。一部だけど、ご紹介。
続かなかった趣味
- ギター
音楽は好きだけど、上達もせずに断念 - DJ
機材を買ったけど、楽しさが分からずやめる - カメラ
Nikonのカメラを買ったけど、そもそも写真にこだわりがなかった - スケボー
上達するまで続ける気力はなく終了 - ラーメン
詳しくなりたいと思うも、ケチで通うことに抵抗感
そもそも趣味は「あえて始める」ものではない。「気づいたらずっとやっちゃってる」ものだと思う。
「趣味を作ろう」と意気込んで作るものではない。「ついやってしまって、仕事に影響出たら困るな」と、なるくらいのものが趣味。

こんな不純な動機で始めた趣味は、おそらくもって3ヶ月。
SNSで際立つキラキラした趣味、いらん。誰かにマウントとれる趣味、お呼びでない。なんの自慢にもならないけど暇になったらやってしまう、君に決めた、お前こそ趣味だ。
退屈は人生の敵だ
損得勘定が邪魔をする
退屈の反対は、興奮や没頭。その興奮や没頭の天敵がいる。それが損得勘定、過剰なコスパ・タイパ思想。
仕事において損得勘定やコスパ主義は持っておくべき。だって求められる成果が、分かりやすく決まっているから。
より短い時間で、より効率的に、アウトプットを出すのが仕事。資料作成やデータ入力をする際は、同じ成果なら時間が短く済む方が正義。
しかし仕事以外の部分では、話はまた別。ゴールが違う。興味を持ったものをする際に、損得勘定を発動させると、結局行動できなくなる。
僕のブログだって、収入という面で見ると、全くなってない。効率悪すぎ。でも没頭できているからそれで良い。
会社で儲けがない部署があれば解体する。しかし余暇の時間の使い方は、感覚で決める。成果がなかろうと、楽しいなら続ければ良い。
同じような理屈でメリットやデメリットを考えると上手くいかない。
登山に興味がある人がいたとして、「お金かかるし、運動なら近くのジムに行く方がタイパが高い」なんて考えると一生体験することはない。
「日本の少子化対策をしないと」とメリットを考えて、子供を産む人はいない。単純に子供が欲しいだけ。
本当にしたいことならメリットもデメリットもフル無視。やってみた後で、後付け的にメリットに気づくくらいでちょうど良い。
余暇と退屈
ここ最近で読んで一番面白かった本「暇と退屈の倫理学」。(https://amzn.to/3xhhodm)
2022年に東大・京大で1番読まれた本だそうで、著者も東大の教授。うーん、インテリジェンス。かなり読みやすい哲学書って感じの内容。
この本の中で、ウサギ狩りの話がある。中世のヨーロッパの趣味であるウサギ狩り。
これからウサギを狩ろうとしている人に、ウサギをあげてもおそらく喜ばないというもの。

現代に置き換えると、釣りかな。釣りに行く人に、ブラックバスをあげても多分嫌な顔をするはず。
趣味の結果として何かを得られることはある。でもそこに本質はない。趣味をしている時間こそが重要で、退屈を感じない瞬間を作ることが肝要。
ニーチェは「退屈には神々も舌を巻く」って言ってた。退屈は人生のラスボス。僕らは戦い続ける宿命にある。呪われた運命だけど、仕方ない。
少なくとも僕はこの記事を書いている間は、一切退屈はしなかった。読んでくれてるあなたが、「退屈しないで読めたな」って思ってもらえたら、めちゃくちゃ嬉しい。
まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 「仕事ができない」を人生の悩みにして、他の悩みから目を逸らそう
- 損得勘定で趣味を考えだすとつまらなくなる
- 趣味はそこから生まれる成果ではなく、その過程を楽しむもの
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!