僕の悪癖なのですが、定期的に仕事したくない時期が訪れるんです。働きたくねぇやって。
繁忙期、疲れている時、趣味に時間を避けない時、僕は働きたくなくなります。罪悪感を感じていたんですが、最近はこれでも良いんじゃないかと思い始めました。

と最近聞き、やはり仕事は仕事と割り切ってしまっても良い。
日本では仕事をすることがあまりにも美徳として扱われすぎ。生活のための手段として割り切ってしまっても良いと思うんですね。
働いているだけでもう十分。仕事を通じて自分のアイデンティティなんぞを確立しないでもOK。
周りに仕事熱心な人がいても気後する必要はありません。もっと気楽に生きていきましょう。

・ワーカホリックな人が近くにいて、引け目を感じる
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
この記事のまとめ
- 仕事が自分のアイデンティティに直結していなくても別に良い
- 給料分働けば、プロフェッショナルと名乗って良い
- キリスト教では「労働は罰」とされている、仕事したくなくても当然
記事の前に自己紹介!

・一浪・一留を経て難関国公立大学理系を卒業→大手ブラック企業→超大手企業
・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました ・20代で貯金1,200万円達成
・映画・読書・音楽と膨大なインプットから、生活に人生を充実させるノウハウを発信
たまに訪れる働きたくないイヤイヤ期
スケジュールにも気持ちにも余裕がある時、僕はまだ働く気になれる。モチベーションもそれなりにある。
しかし一転して、繁忙期になったり、一日の自由時間が減ると一気に働きたくなくなる。
本を読む時間がなくなったり、ブログを書く時間がなくなる。すると仕事したくなくなる。ゆとり世代なんて所詮はこんなもの。

というのが僕の持論。もはやスローガン。
人生を構成する要素は数多くあって、仕事はその要素のひとつに過ぎない。だからこの要素だけが肥大するのは、あまりにもバランスが悪い。
会社で忙して働いて、家には寝に帰るだけ。こんなのは僕は嫌だ。忙しくて趣味の時間がとれない時期は、

っていつも思ってた。
仕事に対して前向きになれるのは、スケジュールにゆとりがある時だけ。やはり自分はそんな人間らしい。
切羽詰まると、仕事したくなくってしまう。どうもそんな腰の引けた会社員みたいだ、僕は。
2歳前後の子供が「イヤイヤ期」を起こすように、僕は何度も「仕事イヤイヤ期」を拗らせている。恥ずかしい話ですわ。
仕事と自分のアイデンティティ
仕事が自分のアイデンティティと思えない人は多いと思う。というか僕がこのパターンなだけやけど。
初対面で誰かに自己紹介をする。職場での場合は、自分が担当している業務の説明などから入る。
しかしプライベートでは、そんなことは全くない。自分を語る上で、仕事の話をしたことはほぼない。
趣味である映画鑑賞や読書や好きな音楽などの話をして、アイデンティティを表現してる。というか無意識にしてた。
社会人になってからは、それぞれの趣味の時間よりも、仕事をしている時間の方がもちろん長い。それでも自分という存在を語る上では、仕事の話をしなくても別に困らない。
なんなら今までの仕事の経験は、自分の人格に1ミリも影響を与えていない気さえする。稼げていないこのブログに費やした時間の方が、よっぽど人格形成に直結してる。
これが良いのか悪いのかはさておき、そんな人間が世の中にいるってことを知ってもらいたい。
仕事がその人となりに直結しない。これはこれで良いと思う。法には触れていない。
会社との雇用契約書にも「仕事を通じて自分の人格を形成しなさい」なんて書かれていない。
それなのに仕事からアイデンティティに影響を受けていない人は、どうも風当たりが強い気がする。なんか後ろ指を差されてる。


ちなみに僕はサイドFIREを当面の目標としてて、仕事しなくて済むなら仕事したくない。
「金になる」よりも、「楽しい」が先立つブログみたいなことを増やして、のびのび生きていきたい。
こちらもCHECK
-
貯金1000万円以上のアラサー独身サラリーマンが、サイドFIREについて真剣に考えてみた。果たして貯金とブログ収入だけで生きていけるのか?
続きを見る
こんなことを言うと、世の中には、

と言ってくる人がいる。でもそんなのは幻想だと思う。
確かに社会との接点がなくなるのが辛いってのは分かる。しかしそれならアルバイトなどで十分。必ずしもフルタイムの仕事や会社員である必要はない。
仕事をしていなくても平気な人よりも、仕事をしていないと人生が退屈に感じてしまう人の方が危険だと思う。
人に仕事というすべきことを与えてもらわないと、人生を楽しめない。そんな思考停止してる人にすら見えてしまう。
仕事を自分の一部にしなくても良い
仕事を通じて自己実現をする。仕事することで、人生の生き甲斐を感じる。
こうなってる人は、もういうことなし。理想的な状態です。否定する気なんてさらさらありません。
しかし問題は、僕を筆頭にして、そんな境地に達せていない人も数多くいるってこと。
仕事は仕事。決まった時間働いて、お金をもらう。これだけ。これだけっす、マジで。
給料もらって納税してる。国民の義務は果たしている。これ以上何を要求される必要があるのか。
元テレビ東京社員で今はフリーランスでテレビプロデューサーをしている佐久間宣行さんの著書「ずるい仕事術」。
オールナイトニッポンでパーソナリティもされていて、トークも面白く気になってこの本も購入。仕事について面白いことが書かれていました。

一見すると、ハードルが低く感じられるかもしれません。しかしこれでも良い。
給料分の価値を出したら、もうプロフェッショナル会社員。血眼になって、200点を出すために働く、これは一昔前の価値観。
時間も労力も総動員して、馬車馬のように働いてる人。どこからそんなモチベーション湧いてくるねんってくらいハングリー精神むきだしの人。
しかしこんな人はある種の「変人」。僕らみたいな凡人がマネしてしまうと、確実に痛い目に合うし燃え尽きてしまう。


そうスタンスとの違い。主義や思想の違い。趣味趣向の問題。これで良い、これで良いんや。
世の中には、好きな仕事や天職を指す「ライフワーク」って単語に対し、生活のための仕事を意味する「ライスワーク」って単語があります。
僕は会社員の仕事は、ライスワークだと割り切ってる。お金を稼ぐための仕事。
もちろんやっていれば、楽しい瞬間や充実感を感じる瞬間もある。これはこれでラッキー。完全なる嬉しい誤算。

仕事が自分の生活の一部だからといって、そのまま自分の人格や自我にまで直結する必要はない。
自分の一部になるくらいに、「自分の仕事が好き」と胸を張れなくても良い。そんなに世の中は窮屈じゃないで。
仕事は目的なのか手段なのか
仕事を目的とするのか、はたまた手段と見るのか。これはもう考え方の違い。
仕事を人生の目的にしている人もいる。YouTubeなどでビジネス系の動画を発信している人とかはきっとこっち。
確かに仕事を目的としている人は輝いて見えるし、憧れも抱きやすい。でもそんな人はごく少数。
僕は仕事は完全なる手段。生活したりお金を稼ぐための手段。これに対して後ろめたい気持ちもあまりない。
転職する際には前職と同職種で求人を探し、結果今の会社に。他の人から見ると、「その職種でプロを目指すんだな」と思われるかもしれないけど、そんなことはない。
こちらもCHECK
-
【実体験】アラサーが転職活動で、大手企業に内定をもらうまで。転職ですべきことをまとめました。
続きを見る
今の職種の仕事を何年もしているけど、自分の人間の根幹には全くなっていない。この分野ではお金を稼げそうだからってだけ。
子供の頃にバカみたいに熱中していた遊戯王カードの方が、僕の人生観によっぽど影響を与えているように思う。

とあなたに伝えたい。もちろん好きの方が良いんだけど。
最も良くないのは、自分を偽ること。好きでもない仕事を無理矢理にでも、「自分はこの仕事が好きなんだ」と洗脳すること。
大人になるとただでさえ、好きなものが減る。昔のように情熱を持てるものが消えていく。
そんな心の磁力が弱った状態なのに、強制的に自分の脳に「好きだ」と思い込ませると、自分の感覚が完全にバグる。
今後の人生で本当に好きなものに出会っても、心のレーダーが正しく作動しない可能性も大いに出てくる。好きでないならそれで良いし、自分を変に誤魔化さない方が良い。
実はキリスト教では、「労働は罰」らしい。神様は人間への苦役として労働を与えたんだとか。
もともと罰ゲームで課されたものなんだから、仕事を好きじゃなくて当然。延々ケツバットされているのと同じ。

と語る人は、実はとんだ変態なのかもしれない。罰が大好きな、バキバキのMを発揮している人材とも言える。
クリスマスなど行事ごとにだけキリスト教を発揮する日本人なんだから、労働感にもキリスト教を発揮してもいいはずだ。
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 仕事が自分のアイデンティティに直結していなくても別に良い
- 給料分働けば、プロフェッショナルと名乗って良い
- キリスト教では「労働は罰」とされている、仕事したくなくても当然
このブログは、僕の実体験、考え、趣向をもとに記事にしている雑記ブログです。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めています。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!