仕事ができないから、サラリーマンを辞めたいのか。サラリーマンを辞めたいが先に立ち過ぎて、仕事ができなくなったのか。とんと見当がつきませぬ。
・サラリーマンを辞めたい瞬間が時々ある
という人にむけて書きました。
誰もが勤勉で、マジメなサラリーマンになれるわけではない。僕だってサラリーマンをそこそこ続けているのに、哲学もプライドもないまま来ている。
新入社員時代は、窓際部署に憧れたもんさ。同じ悩みを抱えている全ての人々に届け、この思い。
結局、仕事が好きになれない
「入社したらゴールだ」と勘違いしていた
できることならしたくはない。しなくて済むなら、それに越したことはない。それが僕にとっての仕事。
ちゃんと働いていないと世間体が悪いから。生きていくのにお金がいるし、固定給は現代の錬金術。こんなマインドで社会人になったのも今や昔。時はまだ平成の頃である。
大学を留年したこともあって、就職活動はとにかく頑張った。ここで頑張るのは良いことだったと思うんだけど、「待遇の良いデカい会社に入りてぇ!」ってゴール設定が間違ってた。
入ってからのことなぞ知らん。とにかく就活というゲームをクリアするという意気込み。結果的に無事に社会人にはなったけど、そこで僕のゲームはフィナーレ。
入社してから気づく。配属された初日の歓迎会、二次会に行く流れだったけど、「今日は体調悪くて」と嘘をついて帰った。あの日から全てが始まったのだ。
体感としては「入社後は余生」と思っていただけに、そこからの会社生活はとにかくダルかった。というか、ぶっちゃけ、今もダルい。
窓際社員になりたかった
「社史編纂室」という理想郷
新入社員の頃に、なんとも興味をそそる部署があった。営業や経理や人事などではない。「社史編纂室」というところだった。
僕が新卒で入った会社は、入社した翌年に100周年を迎えるというタイミング。このメモリアルなタイミングに向けて、会社の社史を発行するという部署だった。
そしてこの社史編纂室にいるメンバーは2人。どちらも定年間近。定時ぴったりに出社し、終業時間になれば帰宅。時報のような正確さだった。
社内での資格などを見るに、年収は1,000〜1,500万円くらいあると先輩が語る。憧れた。こんな夢のような職場があるのだろうか。
ホワイトで、年収も良くて、プレッシャーもない。数年前から社史編纂室はあるらしく、何年もかけて、冊子を一冊作るだけ。そりゃ残業もしませんわな。
そう。ばっきばきの窓際部署。フロアの奥の奥の人目のつかないところに位置していたし、座敷牢みたいな感じ。
集大成の社史、メルカリで売られてる
社内で配布物があり、この社史編纂室に訪れると、しばらく帰ってこれなかった。この2人がめちゃくちゃ話しかけてくる。おそらく暇すぎたんだと思う。
それでも僕はこの社史編纂室に憧れた。仕事は別に面白くなかったし、お金もらえるならなんでも良かったのだ。
社会人になりこのブログを始めた。ブログは面白い。文章を書くと気分も良い。だからもっと書きたい。
こんな発想すら湧いてきてしまっていた。今では転職市場の「市場価値」みたいな概念も理解できたし、若いうちに窓際部署に行くと、損も大きいと分かった。でも当時の僕は、社史を編纂したかった。
後日談だけど、僕が入社した翌年に会社の100周年パーティーが開催されて、この社史は全社員に配布された。社史編纂室も役目が終わり解体。メンバー2人はちょうど定年となった。
そして数ヶ月後には、会社の寮にあるゴミ捨て場にこの社史は捨てられていた。メルカリでも売られていた、600円だった、しかも全く売れてなかった。
仕事にプライドや哲学を持てない
仕事に意味は、果たしてあるのか?
「なんでもいいや」という気持ちが抜けない
我ながら、自分は思想の強い人間だと思う。流行りを避ける。映画でも本でも、マイナーなものを、ドヤ顔で称賛する。異様にケチであり、お金の使い方には、並々ならぬ流儀がある。
生活リズムにも意味のないこだわりも多く、長生きしたくないくせに、必要以上に健康に気づかう。加工食品もほぼ食べないし、必要がなければ飲酒もしない。
自分のライフスタイルには哲学があると自負してる。しかしこと仕事なると、話はまるで別。なんのこだわりも、プライドも、哲学もない。
端的にいえば、「なんでもいいや」とか「成るように成るさ」とか、そんな心境に至った。というか最初から至っていて、そこから変化がないってハナシ。
いまだに自分の仕事の意味が分かっていない。上司に「お前の仕事は何の意味があるんだ?」と質問されたら、それっぽく回答はできる。
しかしあくまでQ&Aをしてるだけ。自分が心底納得しているものを語っているわけでもない。要するに「仕事」というフィールドにおいて、僕はペラッペラな存在。
全ての仕事に意味があり、全ての仕事に意味はない
「え、意味分からん」って思った人、大丈夫。僕も意味分かってない、語呂の良さで書いた。でもこういうことだと思うねん。
僕らがしている仕事は、意味があると思えば、意味はある。意味を見出すこと、意味を後付けすること、意味をこじつけること、全て可能。
しかし無意味を見出すこともできる。自分がしなかったとしても、代わりの誰かは必ずいる。これだけ働いているのに、日本経済は停滞している。「じゃあ、無意味やん」と言えなくもない。
そもそも世の中は、不要なモノが溢れすぎている気がする。過剰なモノやサービスを排気するような仕事も多い。
例えば家電などはすでに十分便利なのに、定期的にモデルチェンジをする。あんまり違いが分かってないし、このモデルチェンジの頻度を半分にしても、世間に影響は少なそう。
人が本当に抱えているニーズを、解消する仕事はもう残っていないのかもしれない。会社がエゴで作った仕事を、消費者に必要だと錯覚させる。財布を開かせる。この仕事に意味はあまりない気がする。
マジメで勤勉なサラリーマンになるのは難しい
「プライドはないのか?」と質問された
この1年の間に、全く異なる人から、全く同じ質問をされた。「プライドはないのか?」と。
去年やっていた業務を引き継いで、今年は自分がするというもの。日程設定やスケジュール感を去年のものをベースに進めようとしたら言われた。
なぜ変更しようとしないのか?去年のものを鵜呑みにしていて良いのか?改善しようとしないのか?そういう意図で「プライドはないのか?」という質問だった。
正直に言えば、プライドはない。というよりも、その判断が、プライドの有無に関係するものという発想がなかった。こっちの方が悲惨なんだろうか。
あともっと言えば、仕事をしていてキレる人、この人の心理もいまだに掴みきれていない。なんでそんなに、ガチになれるんだろう。
仕事の哲学を語る社畜
ひろゆきも「たかが仕事のことなのに、ムキになって怒れる人はバカ」みたいなことを言ってた。同じ感想を持ってしまう。
こういうところが、プライドがなく、サラリーマンとして不真面目なのかもしれない。今からこの性格が180度変わるとも思えない。
「お金をもらっているんだから、仕事はきっちりすべき」という価値観はポピュラーだし納得できる。でもちょっと押し付けになっている感もする。この哲学を語る人は、少し苦手。
雇用関係の拡大解釈。お金を払って人を雇用する側が言うのは分かる。しかし雇用されている側が自慢げに語るのは、ちょっと社畜っぽい。
外国に旅行に行ったら、適当な店員も多い。昔に台湾で訪れた雑貨屋さんなんか、出前のご飯を食べながら接客してた。この価値観は機能してなさそう。
コミュニティによって、揺らいでしまう価値観というのは脆い。「お金をもらっているんだから、その時間にその場所で、最低限のことをする」という価値観も、局地的には正しいのかもしれない。
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仕事でのマイナスを減らす努力をする
仕事ができないけれど
仕事はお金がもらえればなんでも良い。身も蓋もないけど、この気持ちで突っ走ってきてしまってる。
良いことだとは思わないけど、ここから自分の人間性を変えれるとも思えない。「出世なんてしたくない」と思ってサラリーマンをしてきたけど、いよいよ周囲と差がついている気がする。
仕事は人生の一部に過ぎないんだけど、占めるウエイトはかなり大きい。だからこそこれからの人生で何かしらの方向性を決めておきたい。
「出世をする」という行為をプラスと置くならば、目指すべきはマイナスを減らすという方向。
周囲に迷惑をかけないとか、上司に怒られないとか、そういう種類の努力。
僕は仕事ができない。「中の下」であると思う。そして「これをすれば中の上になれる!」って状況になっても、面倒くさがって、全力を出し切ったことのない男なのだ。
仕事で目指す状態を考える
そんな自分でも、まだしばらくは働かないといけない。
人生は自由。イスラム教みたいに、階層によって就ける職業が決まっているわけでもない。それなのにサラリーマンしか、選択肢が見えていない。これってよくよく考えると怖い。
視野が狭くなっている。もしかすると他にもっと、自分が燦然と輝けるフィールドがあるのかもしれない。しかし「まぁサラリーマンとして働くしかないか」って頭になってる。
ブログを6年続けているけど、ちっとも稼げない。というか今読んでくれているあなたにお礼を言いたい、ありがとね。
仕事で目指すゴール
- 仕事でのマイナスを減らす
周囲へ迷惑をかけない、ミスを減らす - 一か八かの成功を狙わない
ハイリスクな勝負に出ない - 平均的なラインまでは昇進
出世しない、大多数が詰まるあたりまでは昇進する
なんだかんだ書いたけど、社内で肩身が狭くない程度の状態には保っておきましょう。こういう姿勢。
目も眩むような成果は、別にいらない。精神的にストレスを抱えず、のびのび生活できるレベルが良い。ジョジョの吉良吉影にリスペクト。
それでもとにかくお金が欲しい
お金に対する執着は凄まじい
仕事に対する哲学やプライドは欠損しているものの、お金や資産に対する執着は非常に強い。やはり僕は俗っぽい人間。
仕事は好きじゃない、働きたくない、でもお金は欲しい。資本主義社会における矛盾を一心に体現し続けて、気づけば30代へ。
新入社員の頃に、社会人の残業単価は2,000円以上と聞く。すげぇ大学生の頃にやってたバイトなんて、その半分の時給だったのに。
週に3回、一回あたり4時間、バイトをした。これで48,000円。大学生の頃は全く違和感はなかった。
しかし社会人で休日と祝日を除き、勤務日を20日とする。毎日1時間残業したら、計20時間で、残業代は40,000円以上。痺れたよね。
これくらいに感じて、残業も厭わずに働いた。配属された部署もブラックで、新入社員の頃に定時過ぎに帰っていると、「あいつは暇なのか?」と噂されていた。
こんなこともあり、積極的に残業をして帰るようになった。今思えばもっと早く帰るくらいの仕事量だったと思う。
サラリーマンこそガチで資産形成を
仕事はできない。でも神は僕を見捨てなかった。「資産形成」という種目は、かなり得意だったのだ。
お金に対する飽くなき欲望。優先順位をつける際に、必ず金銭面を優先する姿勢。収入アップをしても、生活レベルを全く上げない胆力。いずれも僕の得意技。
なんとかここで人生の中で帳尻があっている気がする。逆に言えば、僕のように仕事に課題感がある人も、資産形成に励めば、人生はトータルで見て満足のいくものになる。
新卒のブラック会社で、残業をしまくる。やめる時点で資産は1,000万円越え。そこから転職して今の会社に入る、年収は上がった。
このタイミングで投資を開始。株式市場の値動きと上手いこと噛み合い、今では資産は2,700万円ほど。
お金はツールで、モノを買えるし、体験も積める。そしてそれ以上に、持っていることで、選択肢が増える。
仕事ができないとしても、資産1億円あれば、辞めても生きていける。ということで、人生をより軽やかに生きるために、資産形成は引き続き進める。一緒にどうですか?
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まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- マジメなサラリーマンになれない人だっている
- 仕事で目指すべきは、成果を出すよりも、マイナスを減らすこと
- 仕事ができないなら、とにかく資産形成をするべき
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!