自分なりに頑張って生きている、はずなのに。なぜか嫉妬してしまう。誰かと比べて、自分ができたことさえも陳腐に思えてしまう。

・比較して自己肯定感が下がることがある
という人にむけて書きました。
この記事を読んでくだされば、

すべきことは簡単です。
人と比べないためには?
- 過去の自分と比べる
- 同ジャンルの頂点を見てみる
- 自分のしてきたことを加点で考える
- SNSで自己承認欲求を満たそうとしない
比較というのは非常に不合理な行動です。自分の現状は1ミクロンも変わらない。人と比べて安心したいなら、頂点に立たないといけない。

そもそも他人は他人の人生を送っていて、あなたはあなたの人生を送っています。
戦っている競技が違うんです。アメフトとラグビーみたいに門外漢したら似て見えるかもしれませんが、別のルールで進んでる。
自分の人生は、自分だけのルールの、自分だけの競技です。ここで最もハイスコアを出すことを目指しましょう。
この記事のまとめ
- 比較を行うのは安心したいから、しかし比較で安心を得るのは不可能
- どうせ比較するなら、過去の自分とタイマンを張る
- ひとはそれぞれ違う競技を行なっているので、比べる自体がナンセンス
記事の前に自己紹介!

・一浪・一留を経て難関国公立大学理系を卒業→大手ブラック企業→超大手企業
・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました
・20代で貯金1,300万円達成
人と比べてしまうのは人間の業
現代社会で生きていると、どうしても誰かと比べてしまう。
20世紀初頭の有名なとある風刺作家が、こういう言葉を残しました。

分かる。しかし現代は義理の兄弟どころじゃない。とにかく比較対象多すぎ。
常に誰かしら視野に入ってくる。何かを成し遂げても、それを上回る成果を出している人は必ずいる。
「すべての問題は人間関係に帰着する」という言葉はしばしば耳にします。
これは人と比べてしまうというのも多分に入っているはず。人と比べなければ、そもそも発生しない問題なんていっぱいある。
美醜や収入なんかはその最たるもの。周りと比べてどうかで価値を判断してしまう。


他人との比較は非合理的である
仏教を宗教としてではなく「現実の問題解決に役立つ合理的な方法」として紹介している草薙龍瞬(くさなぎ りゅうしん)さんの著書「反応しない練習」。
宗派・伝統に属さない独立出家僧の方だそうです。独立出家なんてあるんかいなって感じ。
この本にも人と比較することに関して記載がありました。
そもそも僕もあなたもなぜ比較をしたがるのでしょうか?
週刊誌で「同世代の平均年収」はこれぐらいと知ると安心したり落ち込んだりしますよね。また活躍する人たちを見て、負い目や焦りを感じたりします。
職業、地位、収入、ルックス、学歴、評判。とにかく色々な情報を集め、自分の位置を計測しているんですね。



自分を肯定できる、かつ他人に認められたいって気持ちが全くない。こんなマインドであれば比較するという発想自体がまず出てこないはず。
自分を肯定しきれていないから、自分に納得できていないから、自分の価値を確認したい。だから比較をするというのが僕らの深層心理。
しかし比較と言うのはとても不合理な思考なんです。そうです合理的ではないんです。やるだけ無駄。

理由は大きく3つある。
比較は合理的じゃない理由
- 比較という心の働きは、そもそも実在しない
バーチャルな妄想に過ぎず、手ごたえを感じる事はない - 比較しても、自分の状況が変わることはない
結局どれだけ比較しても、永遠に安心することはできない - 比較によって安心を得るのは不可能
誰と比較しても安心できるポジションに行くのは無理ゲー
比較しても安心は得られない。ただの幻。上には上がいる。不満しか残りません。

これが解決策の一つだとこの本では書かれています。他人に認めてもらえるかは、所詮は他人の自由。
自分のコントロールが効く範囲で悩むのが最も賢明。
ちょっと話はそれますが、仏教は「孤独」を薦めています。

ここ。良い。めっちゃ良い。何が良いって、例えが良い。


サイの角のようにただ独り歩め。HIPHOPグループのTHA BLUE HERBの曲名でもあった。元ネタはこれだったのか。

人と比べないためにすべきこと

ってそこのあなた。分かります。理屈は分かっても、なかなか難しいですよね。

人と比べないためには?
- 過去の自分と比べる
- 同ジャンルの頂点を見てみる
- 自分のしてきたことを加点で考える
- SNSで自己承認欲求を満たそうとしない

過去の自分と比べる

おそらくこれが最も効果的。人と比べない。過去の自分とタイマンを張る。
それぞれ人には向き不向きはあります。適性がある。これはどうしようもない。
自分が長時間かかってできないことを、すぐにできてしまう人もいる。こういう人と比べてしまうと、やる気がなくなる。安心感は消える。
だから例えば1年前の自分と比較する。
- 収入
- 副業
- 趣味
- ハマっているもの
- 勉強
- 仕事の成績
自分がこだわっていて人と比較して劣等感を感じてしまう部分を、過去の自分と比べる。

自分を基準にする。その基準の中で昔よりも上にいっていればOK。一番正しい比較対象と比較して、勝ってるから問題ない。
同ジャンルの頂点を見てみる
ミニマリストブロガー森 秋子さんの著書「ミニマリスト、41歳で4000万円貯める」に載っていた方法。
25歳で中古マンションを購入した森さん。最初は嬉しさいっぱいでしたが、30代になると大きな新築物件を購入する友人も出てきます。
思わず比べてしまい、幸福感が一気に色褪せる。そんな時に雑誌で「世界の豪邸特集」を目にしました。
玄関だけでも家の敷地くらいある。置いてあるインテリアは国宝級。
圧倒的な家を見てしまうと、新築も中古もほとんど一緒。もはや誤差。

想像もできないお金を稼いでいる人もいる。高級車をミニカーみたいに持ってる人もいる。
ブランドもののバッグを持ちすぎて個数さえ覚えていない人もいる。
こんな人たちから見たら、僕らと比較している知り合いなんか同レベル。
自分のしてきたことを加点で考える
優れた人と比較する。これは減点思考に陥りがち。

みたいな感じ。これはムダ。比較する人が変わると、その都度減点しないといけないし。

勉強したから、昨日よりも1時間分賢くなった。先月よりも本一冊分の知識をインプットしたとか。
ジムでトレーニングしたから、筋肉量は増えてきているとか。自分の中でポイントがどんどん貯まっていると思いましょう。
SNSで自己承認欲求を満たそうとしない
最後はSNS。これ。一番の悪の巣窟。
SNSがあるから、人は比較をやめられない。アンインストールするのがベストですが、無理なら使用時間を減らしましょう。

これが僕が見つけた発見。芯を食ってると思う。
SNSで「いいね」が付きまくる人も、最も輝いている一瞬を切り取っただけだったりする。
SNSでは全然パッとしないものの、顔見知りの人からもらう「ありがとう」の数が多い人の方が、自己肯定感は高そう。

僕もブログと連携してTwitterを使っています。それくらい。プライベートのアカウントは昔に消しちゃった。
不特定多数の人に、プライベートを賞賛してもらえないと生きていけない。あなたはそんなヤワな人間じゃないはず。

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そもそも違う競技で戦っている!
身近な人でも、画面の向こうの人でも、どんな人と比べても意味がない。
なぜなら僕らはみんな違う前提やルールの中で生きているから。価値観が全く違う。
例えば僕はスポーツにそこまで興味はない。スポーツ観戦なんかもしない。
だから野球で甲子園に行ったことのある人がいても、少しも羨ましくはない。

くらいなもの。逆も然りで、スポーツマンの人は、きっと僕のことを何も羨ましくは思っていないはず。
極端に書いてはしまったけど、それぞれの価値観は違う。そして接している一面しか見れていない。

と思った方が良い。世界人口は80億人弱。つまり世界には80億弱の競技が今まさに行われている。
似ているようで、全員違う競技をしている。ラグビーとアメフトは素人から見ると、似て見えるけど、全然別物。
格闘技でもボクシングとキックボクシングはまるで違う。同じ競技でも階級差がある。
戦っている競技が違うんだから、競う必要はない。というか競えない。同じ土俵にそもそも立っていないんだから。

している競技が違う。遊んでいるゲームが違う。だから比べても仕方ない。
点数基準も違うし、加点項目もまるでバラバラ。嫉妬なんかしなくても良い。
ペンギンは鷹を見て、飛べるからって羨ましがらない。鷹もペンギンを見て、泳げるからって指を咥えたりしてない。


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まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 比較を行うのは安心したいから、しかし比較で安心を得るのは不可能
- どうせ比較するなら、過去の自分とタイマンを張る
- ひとはそれぞれ違う競技を行なっているので、比べる自体がナンセンス
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
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