才能はぶっちゃけ存在すると思う。適正や素養も存在する。
努力だけではどうにもならない場面も存在する。しかし、しかし、才能だけが全てではないと思うんです。

といって諦めるのって、めちゃくちゃ簡単。
才能は生まれながらに決まっていると考えるよりも、知性や能力は後天的な努力で磨かれると信じるべき。
実際に「才能」を褒められる子供よりも、「努力」を褒められた子供の方が、その後の成績の上昇は桁違いだったそう。

何かに挑んで、ミスって才能がないとバレたくないから。
才能は生まれつき決まっていない。これからも変わる。そう信じましょう。

・失敗するのは、才能がないからだと思う
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
この記事のまとめ
- 「才能」は便利な言葉だが、諦める理由に使ってはいけない
- 「能力は後天的に伸びる」と考えることで、チャレンジを恐れなくなる
- 「才能が絶対」なのは、ドラゴンボールやバキなど、少年マンガの中だけ
記事の前に自己紹介!

・一浪・一留を経て難関国公立大学理系を卒業→大手ブラック企業→超大手企業
・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました
・20代で貯金1,300万円達成
・映画・読書・音楽と膨大なインプットから、生活に人生を充実させるノウハウを発信
才能があるかないかに、僕らは左右され過ぎ
「人間の脳なんて大差はない」と昔に、とある脳科学者だったか教育者だったかが書いたコラムを見ました。
危険な薬でもやっていない限り、きちんと勉強すればちゃんと成績は伸びる。個人の脳の性能には、関係がない。そんな趣旨。
スポーツの世界は体格の差があります。こればっかりは仕方がない。
生まれながらに決まっているモノはある。恵まれた差みたいなモノは存在する。
しかし普通の社会では、そこまで差はない。勉学でも、仕事でも、何かしらの活動でも。
「才能がない」と嘆くよりも前に、やり方がまずい場合も多い。というよりもむしろ、ロクに努力していない場合もめちゃくちゃある。

才能というのはある種非常に便利な言葉。諦める時に使うと効果抜群。

努力をさほどしないでも、この言葉を吐けば、周りも納得する。諦めても仕方ないという雰囲気を醸し出せる。
正直なところ才能はあると思う。適正みたいなものもある。何かを始めた時点で、スタート地点が違ってるってこともある。

努力もしていたと思うけれど、それでも達成できなかった。こういうケースも非常に多くある。
しかしここで「才能がない」と一言で片付けてしまうと、そこから先はない。「才能」の存在を一度無視して、これから伸びると信じ込む。これが大事。
僕らはどうしても、才能や生まれの頭の良さが絶対的だと思ってる。左右されてる。
転職活動をした時に、好奇心から受けてみた外資コンサル。
面接の最後の逆質問で、「コンサル業界で活躍するのに、必要なものとは?」と聞いてみる。
「地頭の良さ」だと答えられる。元から賢い奴だけ欲しいってことだそう。才能は最初から決まってるって発想でした。今思うとイケてない。
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成長を意識する思考法に切り替える
失敗を才能のせいにするのは、逃げである
前職の会社で、泣けてくるほど仕事ができない人がいた。年齢は僕よりも一回りも上なのに、全くできない。
何か工夫しているわけでも、丁寧に準備をしているわけでも、理解しようという努力も見られない。
過去記事でも書いたのですが、その人に引き継ぎをすることになりました。
何度もロジックを説明し、因果関係まで説明。そして最後の最後にその人が言った言葉が、

完全に思考放棄。諦めモードに入ってる。
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そしてその人は仕事がダメすぎて、その業務はもっと若手の優秀な社員田中くん(仮名)に引き継がれることに。
その際に、その人が言ったのが、

ダサい。なんともダサい。ろくすっぽ何もしないで、自分の能力の低さのせいにして諦めている。この人を反面教師にしてほしい。
才能は後天的に伸びると信じることが大事
世界的ベストセラー「失敗の科学」「多様性の科学」の著者の最新作「才能の科学」。僕はこの作者の大ファン。
ビジネス・学問・スポーツ・芸術など、全ての分野で「才能がない」と諦める前に読んでほしい本。

と読んでいると思える。ありもしない蜃気楼にこれまで惑わされてきたのかって目から鱗が落ちる。
1978年にドゥエックという人が、能力とりわけ知性についての考え方を調べるアンケートを実施しました。
対象はニューヨーク在住の5年生と6年生の計330人。能力に関して、生徒を2つのグループに分かれました。
- 固定した気構え
知性は遺伝子の中に備わっている、才能は先天的に決まっていると考える派 - 成長の気構え
知性は努力で後天的に変えられると考えている派
生徒たち全員に様々な問題を与えると、全く異なるパターンが見られました。
能力は先天的に決まっていると考えている生徒の特徴。
固定した気構えの特徴
- 自分の能力を過小評価して、失敗を自らの知性のせいにする
- 簡単な問題はすらすら解けても、難問になると自分の知性を疑う
- 難問に遭遇すると、すぐに投げ出してしまう
一方で能力は後天的に努力で変えられると考えている生徒の特徴。
成長の気構えの特徴
- 問題が解けなくても、誰のせい・何のせいにもしない
- 失敗にはこだわらない、というか失敗したとも思っていない
- 難問と遭遇しても、取り組みの質を維持もしくは向上させる
なんてこった、大きな違いです。
なぜこのようなことが起こったのか。それぞれの思考法が違うから、行動も変わったのです。
固定した気構えを持った生徒たちは、将来の知性もテストされていると考えたんですね。
テストをした瞬間の能力ではなく、現在そして未来の基本的な知性を示す指標だと信じていました。
失敗は悲劇だと考える、そんで難題にチャレンジしなくなる。
しかし能力はこれから伸びると思っていると、持ち手はただの出発点だと分かる。
人はあらゆる点で異なっていても、努力と経験によって変わったり成長できると信じている。だからミスっても全然平気。
ポーカーで最初の手が全然ダメでも、交換していけばいずれ役ありになると分かっている。ブラフで「フルハウスですよ」みたいな顔をする必要はない。
また子供に褒めるコメントでも、大きな違いがあるようです。

と才能や能力を褒めるのと、

と努力を褒める。これが如実に違いが生まれます。
生徒たちに難易度の高いテストか、低いテストを受ける選択肢を与える。
すると能力を褒められた生徒たちの2/3は簡単な課題を選ぶ。チャレンジができない。
難しいテストだと失敗する可能性がある。頭が良いというレッテルを失いたくないという心理です。
しかし努力を褒められた生徒たちの9割は難しいテストを選ぶ。
成功ではなくチャレンジの可能性を追求することに関心があったから。
どれだけ自分が頑張れるか、周りに示したかったと考えるようになります。
才能・能力があると褒められるとチャレンジしたくなくなってしまう。気持ちはめっちゃ分かる。
- 早く覚えられなかったら、頭が良くないと思われる
- あまり頑張って取り組んではダメだ、才能がないのがばれる
- 下手に勉強でもすると、生まれつき優秀だと思われなくなってしまう
なんて脳内で考えてしまうから。これじゃ確かにチャレンジしたくなくなる。
今から考え方を切り替えよう!
「キルビル」という映画の中で、

というセリフがありました。
スーパーヒーローは必ず変身前の人間がいます。バットマンの正体はブルース・ウェイン、スパイダーパンはピーター・パーカー。
スパイダーマンは朝目覚めたときはピーター・パーカーという青年で、コスチュームを着なければスパイダーマンになれない。
しかしスーパーマンは違う。スーパーマンはスーパーマンに「なる」のではなく、スーパーマンとして生まれたんです。元からスーパーマン。
スーパーマンは先天的であるのに対し、スパイダーマンは後天的。僕らはスーパーマンにはなれなくても、スパイダーマンにはなれるかもしれない。


とにかく僕らは、生まれながらに能力や才能は定まっておらず、後天的な努力で変えられると考えるべき。
なにかに失敗しても、「才能がないから」と条件反射的に考えるのは、これから一切やめる。

というように、自分の行動にフォーカスをあてる。
あとは体調を万全にしておく。脳の調子をベストな状態に整えておく。
スポーツや入試など、その日に全てが決まるものは、その場の能力でやはり決まってしまう。
しかし普段の仕事や、勉強なら、体調に左右される場面も多い。しっかり寝て絶好調の人は、徹夜してヘロヘロな格上の人にも、その瞬間は勝てる可能性は高い。
こうなってくると才能は関係ない。仕込みとか準備とかのレベルの話。
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脳を常にベストな調子にしておくべき。日頃の習慣で、脳を鍛え活性化させる。能力の違いよりも、パフォーマンスの違いの方が大きい。
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僕が好きな経営の神様である松下幸之助。

その中でも好きなのが、この言葉。
私心にとらわれることなく、人としてなしうるかぎりの力をつくして、そのうえで、静かに起こってくる事態を待つことが肝心。
それは期待どおりの結果かもしれないし、そうではないかも。しかしいずれにしても、それはわが力を越えたもの、神の領域。
人事をつくしたかぎりにおいては、うろたえず、あわてず、心静かにその事態を迎えねばならない。すると次の新しい道が開ける。
とにかく自分のベストを尽くせば、それでOK。上手くいってもいかなくても、あとは神の采配。
才能があるとかないとかは関係ない。上手くいかないなら、今回は運がなかったと割り切っちゃって良い。
才能信仰に屈するな!
僕らは才能信仰に汚染されすぎている。
才能がない奴は、才能がある奴に、何をしても勝てない。そう思い込んでる。
なんでなんでしょうか。そう思って色々考えてみました。

と思い至りました。少年マンガ(特にバトルマンガ)は、ほとんど才能や血筋で、強さが決まってる。ここに僕らは慣れすぎた。
ドラゴンボールも悟空の血筋はみんな強い。ハンターハンターも、主人公ゴンの親父は最強のハンター。
ナルトだって、実は超サラブレッドだった。バキシリーズなんて顕著、主人公が地上最強の生物の息子なんだから。
思春期や少年時代に読んだマンガは一生の糧になる。でも「才能が絶対」というのは、まさにマンガの中の話だけと捉えておきたい。
才能なんてもはや幻想かもしれない。人間の脳なんてだいたい一緒。後天的な努力や環境で、能力が変わっているだけに過ぎない。
全ての成功や失敗を、才能という言葉ひとつで片付ける。こういう人が、ある種、最も才能がない。
考え方を変えるだけで、伸びる可能性も変わってくる。お金は一円も変わらない。

まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 「才能」は便利な言葉だが、諦める理由に使ってはいけない
- 「能力は後天的に伸びる」と考えることで、チャレンジを恐れなくなる
- 「才能が絶対」なのは、ドラゴンボールやバキなど、少年マンガの中だけ
このブログは、僕の実体験、考え、趣向をもとに記事にしている雑記ブログです。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めています。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!