僕は小学校から大学まで公立でした。私立の学校は想像もつきません。公立の学校に通う中で、様々なメリットとデメリットが見えてきました。考えましたが、小学校と中学校は公立がおすすめです。
学費がかからないなども理由ではありますが、人間関係を学べるというのが最も大きな理由。受験をすると、ある程度はふるいにかけられた仲間に囲まれて生活を送れる様になります。
ですが、小さい頃には色々な人と接しておくべきなのです。超エリート、ヤンキー、障がいを抱えた子などなど。僕の中でも、色々な人の中で過ごした経験は大きな財産になっています。
小学校・中学校は私立か公立かで悩んでいる
という人にむけて書きました。
公立小学校で偏見を失くす
子供の頃に接したタイプの人間以外は受け入れづらくなる
中学校以降になると、学力面の比重が大きくなります。もちろん小学校でも、教育環境が大事なことに変わりありませんが、それよりも人間関係を重視したい。
僕の両親はもともと私立の小学校に入れる気はさらさらありませんでした。というか、僕が小学校入学の時は、約20年前。私立の小学校という選択肢はそこまでポピュラーなものじゃなかったというのもあります。
同じ地区に住んでいるというだけの括りです。家庭環境や、財政面、家族状況などは全く違います。お金持ちの家の子、そうでない家の子、勉強ができる奴、できない奴など様々。
今思うと、ふるいにかけられていない状況で、多くの友達ができたのは非常に良かった。(大半は今は疎遠ですが笑)「子供の頃に接したタイプの人間以外は受け入れづらくなる」というのが生きてきて感じたこと。
僕は人に興味はないですが、偏見はありません。どんな人に会っても、
こういう人もいるよね
くらいの感覚です。
きっと、公立小学校の時に多くのパターンの人の中で過ごしてきたおかげだと思います。
もし、受験をして私立の小学校に入っていたら違っていたんじゃないでしょうか。ふるいにかけられ、勉強ができて、ある程度教育熱心な家庭の子供達が集まります。そうすると、打ち解けたりするのも早いでしょうが、どうしても狭いコミュニティに陥ってしまうのではと思うんですね。
ハンデのある子供達は身近な存在だった
僕の通っていた公立小学校には養護学級があり、多数の障がいを抱えている子供達も通っていました。普通のクラスと養護学級を行ったり来たりして過ごしている子供が大半だった様な気がします。
僕も小学校の6年間必ず障がいを抱えているクラスメイトの子がいました。知的障がいだったり、身体的な障がいだったり種類は様々でした。周囲の物音に敏感な子もいて、養護学級だけ窓は二重窓になっていました。
障がいを抱えた子供がいる環境は当たり前でしたが、配慮ができているわけではありませんでした。苛めたことは一度もないですが、内心煙たがっている様な感覚でした。今思えば、恥ずかしい話です、本当に。
小さな頃は、障がいと共に生きるということの困難さに思いを馳せれる程の優しさはありませんでした。大人になり、自分にも子供ができてもおかしくない年齢になってやっと分かってきた様なものです。
小学校低学年の頃に、養護学級の側を通りました。教室の外で、障がいを抱えている子供の母親らしき人が、養護学級の先生に相談していました。耳に入ってきた言葉は、
子供は知的障がいがあって、一度も「お母さん」と読んでくれたことがない
どれだけ悲しい告白か、理解できない程バカな子供でした、僕は。
とある障がいを抱えた男の子との話
山下君(仮名)という障がいを抱えた男の子が学校にいました。 彼は足に障がいを抱えており、片足をひきずっており、もう片方の足も震えながらでないと歩けないという子でした。
そんな山下君とのエピソードで、死ぬ程後悔している話があります。それは体育の授業でした。新学年になり、色々な測定をする時期でした。
今から思えば、本当に不思議で仕方ないのですが、小学校の時に自分のブランド力をあげれるのは「50m走のタイム」なんですよね。笑 中学校は前髪の長さとかでしたっけ。
僕は足の速さは普通、というか平均以下くらいだったんじゃないかな。50mを測る時に、二人一組で走ることになっていました。全員が見ている中で、順々に走っていく形でした。
足が速い人とペアになったら嫌だな。
と考えていました。
並んでいた場所で、先生が適当にペア分けをしていきます。僕のペアは山下君でした。その時、僕は何を思ったか。。。
やった、これで負けることはない!
実際走ってみたら圧勝です、そりゃそうです。その時は、足が速い人と組んでぼろ負けして恥をかかずに済んだと喜んでいました。
まだ大阪に勤めていた時に、通勤時に最寄り駅で山下君をよく見かけました。山下君とは学年も違うので、僕のことは覚えていないでしょう。でも、絶対に僕は忘れられない。
毎朝決まった時間の電車に、山下君はきちんとスーツを着て通勤しています。その姿を見て、50m走のタイムを測った日の自分をぶん殴りたくなるんです。
小学校高学年から塾に通い始めて、小学校の勉強はそこまで学びになりませんでした。もしかすると小学校で僕が得た最も大きな物は、この後悔なんじゃないかなって思っています。
公立中学校で思春期を過ごすということ
中学校も公立がおすすめですが、小学校程じゃないです。正直中学校にもなると、学力差は大きいです。 勉強ができる人達の環境に身を置きたいから、私立に通うのも懸命な判断だと思っています。
僕は中学受験は視野に入れていませんでした。結果的に見れば、中学校受験に成功して、そのまま中高一貫で進み、学力も伸びなかった奴もいました。高校受験のタイミングで、しっかり勉強するのも大事だとは思います。
ですが、中学校で学んだ最も大きなことは、「分かり合えない人もいる」ということが分かるということ。
小学校以上に、人間性の幅が増えます、経験できるのは大きい。しかし、思春期ということもあり、イジメの問題などもあるので、治安が悪ければ私立に行くのも安全かもしれません。
ちなみに、僕の中学校も様々。
- 後々に難関大学の医学部にストレートで受かるくらいの頭の良い生徒
- 定期テストの全科目の合計が30点という頭の悪い生徒
- 近所のスーパーで万引きを繰り返す生徒
- 全国模試のランキングに名前が載る生徒
- 後々会社を経営することになる生徒
- 後々ホストになる生徒
- 後々成人式に子供を3人連れて来る生徒
- ヤンキーで中学校の間に、経験済みの生徒
- シャイで異性と全く話すことなく卒業する生徒
分かり合える奴と分かり合えない奴がいると思ったんですね。住んでいる地域というフィルターだけしかかけていないので、価値観だったり、知的レベルだったりが全員同じわけではありません。
お互いがお互いを異分子と見て過ごしていたんじゃないでしょうか。その甲斐あってか、自分の生活圏にいない人と会っても全く気後れや戸惑いはありません。中学校の時に経験したやんって感じなんです。
あと、僕は中学校の時はイケているグループではなかった。クラスの中心の人気者じゃなかった。あの時のルサンチマンみたいなものが今も僕の原動力になっている気がします。思春期の挫折感とかって、幸か不幸か一生のバネになるんですね。
高校・大学はお好みで!
高校と大学は完全に好みですね。僕は公立だったので、ぼろぼろの設備のところも多かった。キレイでオシャレな校舎で学生生活を謳歌したかったなって思うこともたまにあります。
高校も大学も受験をして、ある程度似通った集団になるので、こうなったら公立も私立も変わりませんね。
まとめ
最後にこの記事をまとめます。
- 学力面も重要だが、色々な人間と接するのも大事。小学校は公立がおすすめ。
- 公立の中学校も多様な価値観に触れることができる。学力面を最優先にしたり、治安が悪い地区ならば、私立も賢い選択肢
- 高校・大学は私立・公立どちらかはお好みで
人の内面の深さって出会った人によって決まる様に思っています。小さい頃に色々な人と接することは絶対に無駄にならないはず。
ではでは!