名著「思考は現実化する」には、成功する人は給料+αの働きをすると書かれていた。長年読み継がれている名著だから、きっと正しいのであろう。
こうなると僕は成功しないのかもしれない。ツラい。だからと言って、「よし、今から本気出すぞ!」とはならない。
そもそも今まさにつまらないオンライン会議をサボって、この記事を書いている。家で隣でパソコンから聞こえてくる、どうでも良い進捗報告を聞いてる。
というか聞いてはない、耳に入れてるだけ。そしてこの記事をしたためている。無理だろ、こんな奴。給料+αなんて夢のまた夢すぎる。
極端に無責任な人間の末路
興味のないものにはとことん無責任
社会人になってから自覚したけど、僕はとても無責任な人間だ。
仕事もそうだし、プライベートでもそうだ。昔からそうだったかもしれないけど、徐々にそう気づき出した。
興味があることにはとことんハマるけど、そうでないものは極端にハマらない。このタイプは多いはず。
そこに加えて、無責任まで乗っかる。学生時代に部活をサボりまくって、途中でやめたというのも今になって響いているのかもしれない。
ただ学生時代は、まだ勉強はそれなりに好きだった。興味もあった。
それなりの高校にも大学にも進学したし、ここまでは良かった。大学は留年したが、まぁ仕方ない。
仕事で責任を負いたくない
しかし問題は社会人になってから。仕事に身が入らない。どこか他人事感が消えないのだ。
こんなものを頑張ってどうなるというのか、そんなマインドが脳内をよぎる。
頭では分かっている。必要なことだし、求められていることだ。
会社から金銭の対価を受け取っている。だから労働をする義務がある。理屈では分かる。
美容院に行って、お金を払ったのに、髪の毛を全く切ってくれなかったら、クレームを入れるはず。
しかし感情はそうもいかない。必要な仕事ばかりではないはずで、ムダなことも多いはずだ。
労働契約を守ってるし、許してほしい
お金を払っても、文句言ってないやん
作った会議資料のうち、半分以上見られてはいないみたいな話もあった。
それに美容院行って、髪は切ってくれるけど、失敗することだって多い。眉カットでミスられたこともある、追加料金払ったのに。
飲食店でも値段に見合っていない少ない量しか出ないことも多い。お金を払って映画を観に行ったのに、つまらないなんてこともザラ。
だけど別に文句は言わないし、クレームも入れない。サービスは間違いなくあった、0ではなかった。ただそのサービスが気に食わなかった、もしくは期待を越えてこなかったってだけ。
世の中はそんなもんで良いと思う。お金をもらっている上では、仕事はする。遅刻・欠席はしないし、言われたことはやる。
それで良いじゃないかって言いたい。そういう契約やん、おれたちって。こんなテンション。
ねぇ、私たちって、一体どんな関係なの?うん、労働契約。それ以上でも以下でもない。
人生は自己責任という考えは正しい
一方で、「成長は自己責任」という言葉好きだったりする。意識高い系の人たちが、好んで使いそうな表現。
もっと言うと、人生を楽しめるかどうかは、自己責任だと思う。ここに関しては、僕はマッチョな考え方をしてると思う。
北に「休みの日に、ついダラダラしてしまった」って人がいたら、行って「それってあなたの責任ですよね」って言っちゃう。
南に「SNSにハマって、時間をどんどんムダにしちゃうんです」って人がいたら、行って「それってあなたの責任ですよね」って言っちゃう。
そう思うと僕は人生に対して主体的だと思うし、楽しいことに関しては主体的だ。旅行に行ってつまらないと感じたら、自分のせいだと思ってる。
本当に興味のあることに関しては、責任を負う必要がある。ただその興味のあることを輝かせるために、無責任でいられるジャンルも決めている。
成長は自己責任、人生も自己責任。だったらより良い人生にするために、戦略的に無責任でいる瞬間を作ろうとしているのかもしれない。
ただ問題なのは、本当に興味のあることが仕事では、豪もないということだ。ここがシャバい。
仕事にはめちゃくちゃ責任感あるけど、自分の健康管理は無責任で、ジャンキーなもの食べて太ってる人。なんか社会的に許されてる。
仕事は一切責任感負いたくないけど、自分の健康管理は責任感あり、健康診断でA。体脂肪率も一桁%な人。社会的にぎりぎり許されなさそう。
ちなみにオレのことな、泣きそう。キックボクシングのジムに行けなかった日は、罪悪感スゴいねん。いらないところで、きらりと光る責任感。
このまま人生が詰むのかもしれない
名著「思考は現実化する」には、成功する人は給料+αの働きをすると書かれていた。長年読み継がれている名著だから、きっと正しいのであろう。
こうなると僕は成功しないのかもしれない。ツラい。だからと言って、「よし、今から本気出すぞ!」とはならない。
そもそも今まさにつまらないオンライン会議をサボって、この記事を書いている。家で隣でパソコンから聞こえてくる、どうでも良い進捗報告を聞いてる。
というか聞いてはない、耳に入れてるだけ。そしてこの記事をしたためている。無理だろ、こんな奴。給料+αなんて夢のまた夢すぎる。
こうやって僕はじわじわと、時間をかけて詰んでいくのかもしれない。数年後か、10年後か、それは分からないけれど。真綿で首を絞められてる、自分で自分に。
でも今の会社で一生いるわけではないし、もうなんか割り切ってしまっている自分もいる。一度転職をすると、メンタルは強くなるけど、こんな思想に陥ってしまう。
スマホゲームで、体力・スタミナってゲージがある。時間を置いてジワジワ回復するってやつ。
会社もそうで、そのスタミナを使い切ったら、次の会社に入りゲージを満タンにする。スマホゲームやったことないけど。まぁ、人生そのものがゲームになってるのかもしれない。
この責任の負いたくなさは、ある種の呪いのように僕の行動指針を決めてきた。
結婚したくないのも、子育てなんて真っ平ごめんだと思っているのも、責任を負いたくないからだ。なんやかんやで仕事は責任は生まれる。だったらプライベートくらい無責任で生きてきたい。
そういえば無責任ヒーローって曲もあったな。関ジャニ∞のやつ。全力前進ジャジャジャジャーンって曲。世代。
念のために歌詞を調べて気付いたけど、改名されてて、SUPER EIGHTになってた。なんやねんスピルバーグかよ。
そう思うと、ヒーローではない俺は、いいところ無責任一般人ってとこか。無理だろ、こんな奴。