明日に怯え、昨日を悔やむ。自分に足りないモノが分かり、自分の限界も見えてくる。これが人生。

・思い悩んでしまう時が多い
という人にむけて書きました。

絶望は受け入れるしかない。というか人の脳は幸福感を維持できない。絶望感や飢餓感がデフォルト。
絶望と聞くと、マイナスなイメージしかありませんが、裏を返すと生きている証でもあるわけです。
お金を持って贅沢三昧をするよりも、絶望している時の方が、生きている実感があるはず。
絶望することは、全ての人間に平等に配られた権利なんですね。忌々しいものではありますが、ここはひとつ開き直りましょう。
記事の前に自己紹介!

・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました
・当ブログで120万文字を執筆、累計PV数は100万突破
・30歳で貯金1,500万円達成
人生は絶望と隣り合わせ
幸せではあるけど、絶望が0にはならない
大前提として、僕らは幸せです。おそらくね。あんまり良い加減なことは言えないけど。
これまでの人類史を見てみると、ぶっちぎりでベスト。食べれる。家もある。命の危険はほぼない。めちゃくちゃ便利な社会だし。
幸せではある。まずはこの事実を再確認したい。でも僕らは生きている間に、何度も絶望する。
自分の限界を知った時とか、老いの気配を感じた時とか。周りと比較して、自分の能力が足りていないことを自覚した時とか。
ちなみに僕は大学受験に第一志望を落ちた時に絶望した、一浪したのに。ただすべり止めで進学した大学で、一留した時は、もっと絶望した。
幸福ではある。でも絶望が0になるわけでもない。どんなに優れている人や、社会的地位がある人でも、絶対に絶望する瞬間はある。
生きていて絶望したことのない人などいない。いたとしたらぶっちぎりの天才か、ずば抜けた鈍感か、このどちらかに違いない。
人生に意味なんてない
ある程度の知性の人が、ある程度の内省をしたら、早々に気付く。僕の偏見ではあるけど。

僕も20代の途中で、人生に意味はないって悟ってしまった。生きていることに、さほど意義はない。よく言われる表現だけど「人生はただの暇つぶし」ってやつ。
手前味噌だけど、僕はある程度の知性はあると思う。小学校の時に、みんなが進研ゼミをしている中で、僕だけZ会してたし。


ただそんな意味のない人生において、僕らは失うことにビビってる。ここらへんはマジで不合理。
積み上げたり、何かを獲得した喜びには無頓着。しかし手元から消えていくことに関しては、メンタルを削られまくる。


幸福は維持し続けないといけない
僕らの脳は幸福度を保てない
脳はすぐに絶望するくせに、幸福度は維持できない。ここらへんはマジでアンフェア。
人類が進化してからたかだか1〜2万年。現代には適合できるように、まだ脳は進化できてない。進化するには、もっともっと時間がかかる。
ポジティブな感情のまま、とどまる。常に最高の気分でいられる。ずっと最高にハイ。無理です。僕らの脳では達成できません。
例えば食事をして、お腹がいっぱいになる。ああ幸せだ、しかしこの感情はしばらくすると消えます。だよね、消えるよね。
だって消えないと、もう食事をしなくなり、生きていけなくなるから。原始時代の脳のプログラムがまだ作動してるから。
満足感や幸福感は、いずれ消える。努力しないと維持できない。でも全く努力しなくても、絶望状態にはすぐに入れる。


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誰しもそれぞれの地獄がある
誰しも絶望はある。絶望のレベル差はあっても、みんな人生を嘆く瞬間はある。
キムタクも、ジャスティン・ビーバーも、ブラピも、誰だって絶望してる。絶対に間違いない。
キムタクも「オレ、老けたよなぁ」って絶対に凹む瞬間はある。僕から見たら、今も昔もかっこいいけど。あ、でもブラピは年とった今の方がイケてる説もあるな、まぁいいか。
どれだけ偉大な人でも、みんなから憧れられる人でも、自分のGood要素が減っていくのが怖いはず。ずっと全盛期はピークできないから、どこかで落差が出てくる。
「女は最初にアイテムがそろってて、年をとるごとにアイテムが減っていく。男は逆に年をとりながらアイテムを増やしていく。 」、これは闇金ウシジマくんに出てきたセリフ。
かなりエグいこと言ってるけど、その通りな気がする。でも今の価値観でいくと、男も歳をとることでアイテムを失っていくことも多い。
メンズ美容とか、アンチエイジングとか、もはや男性も当たり前になってきた。生きて歳をとることで、誰もが若さというアイテムを失ってく。例外ない。こんなん絶望しかない。


誰しも絶望するポイントはある。見た目かもしれないし、金銭的な話や人間関係の話なのかもしれない。それぞれがそれぞれの地獄を抱えている。
絶望と共に生きる
絶望をデフォルトにしてしまう
絶望を当たり前にする。絶望を必要以上に怖がらない。これが現代を生きる上での、基本戦略かもしれない。
人生に悲観的になる。普通。誰でもある。自分の決定に一喜一憂する。当たり前。みんなやってる。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。人生、みんなで絶望すれば怖くない。

永遠に続くものなんてない。永遠の愛とは言うけど、いずれどちらかは亡くなってしまう。終わりは確実にくる。
絶望のない人生はない。もし絶望を避けたかったら、マトリックスみたいに脳を電極につないで仮想現実を生きるしかない。
でも僕らは赤の錠剤を飲んだ。飲んだよね。 モーフィアスから赤と青の錠剤を出されて、赤を選んだ。だから苦しいけれど、リアルな現代社会をサバイブしてるんやんな!?
覚醒して現実の社会に生きてる。だったらその対価として、絶望を受け入れるべき。
足りないものがあってこその人生
マンガ「ドラゴン桜」で「いつも何かが足りない。それを満たすために、心の空白を埋めるために、何をすれば良いのか。ひたすら考え続けるのが高校時代」というセリフがありました。
高校時代に必要なのは、満腹感ではなく飢餓感。中学時代に「ドラゴン桜」を読んだ僕は、「なるほど!高校ってそんな感じか!」って腹を括りました。
実際にその通りで、何かが足りない。どこか満たされないって気持ちが付きまとっていました。ドーナツの穴みたいに、どこかが欠けている。そんな気がしてました。
そこから大人になりました。飢餓状態MAXだった高校を卒業して、早くも12年以上。干支も一周、気付けば僕もすでに30。

そうです。消えない。無くならない。飢餓感がずっと体に残ってる。正社員になった。1,500万円以上も貯金した。でも何かが足りない。
喪失感というのか、焦燥感というのか、なんとも言えない感情を身に纏い30歳になった。そして気が付いた。

100%満足できる人生はおそらくない。足りないピースを求めるのが人生、そもそもそのピースが何を指しているかも分かってないけど。
満たされない、何かが欠けている。理想の人生と勝手に比較してギャップを感じる。そんで僕らは絶望する。畢竟、絶望するとは生きることなのかもしれない。
絶望こそ生きている証に他ならない
確かに絶望はツラいけど、これは生きてるからこそ。ノーペインノーゲイン。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」みたいもの。おれ絶望してる、ってことはおれ生きてる。
フリースタイルダンジョンってラップバトルの番組でも、般若ってラッパーが「勝ち負けなんかどうでもいい、生きている実感だけあればいい!」ってよくラップしてた。
時間は平等。人生に限りがあることも平等。そして絶望することも、これまた平等。
絶望のない人生は人生じゃない。「おれ人生で絶望したことないっす」って奴は嘘っぱちだ。
そんな人とは仲良くなれない。そんな人が握ったおにぎりは何があっても、僕は食べない。

生きよう。絶望と共に。それが人としての矜持なんだ。
自分にないものを知って絶望する。他の人とつい比べてしまって絶望する。まだ来ていない未来に怯えて絶望する。それが人生やん!?
まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- どんな人でも必ず絶望する瞬間はある
- 足りないものがあって絶望しながら生きるのが人生である
- 我絶望する、ゆえに我あり
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!