あなたには「夢」がありますか?僕にはないんです。昔はそれをコンプレックスに感じていましたが(正直今でも少しは感じていますが・・・)、今ではそれでもいいやと思えています。
30年近く生きてきて、最近思いました。将来やりたいことよりも、目の前のできることの方が実は大事だったりするんじゃないかって。
様々な変更が起きている現代社会、一年後の予想すらもままなりません。そんな先行きが不透明な中で遠くに夢を掲げるって危険な一面もあると思うんです。まずは、目の前にある自分ができることからトライしていきましょう!
自分には夢がない・・・
という人にむけて書きました。僕と同じですね!
小学校を卒業したら夢がなくなる若者たち
小学校の時はとりあえず夢を書けた
思えば幼稚園や小学校の時に、「将来の夢は何ですか?」とよく聞かれた様な気がします。卒業アルバムや卒業文集などでも、書きました。記憶にある方も多いのではないでしょうか。
ですが、思い返せばこの時、優等生もそうでない人もなんやかんやみんな自分の夢を書けていました。もちろん「ウルトラマン」とかふざけたものから「総理大臣」とか様々でしたが。
今の子供は、ふざけてアベンジャーズ入りたいとか言うのかな。
入れるもんなら入りたいよ、そりゃ。
個人的に、その時にしているスポーツのプロを書いている人が多かった気がします、「野球選手」・「サッカー選手」とかね。僕もそんな感じでなんとなく書いていました。
この時は、将来なんて遥か彼方。とにかく思いつくままに好きな様に書けたのです。それに、小学生だからそもそも知っている職業が少ない。笑少ない選択肢から選ぶだけでした。
中学校以降に実現可能性と向き合う
そして、中学生になり風向きは変わります、というか僕は変わった。色々ありますよね、原因は。
- 実現可能性の壁
- 選択肢が多いことに気付く
- 将来は実はそう遠くない
実現可能性の壁
ほぼ全員ここら辺で「実現可能性」という壁にぶち当たります。だって、成績がずっとオール1の中学生が医者になれるかと言うと、ほぼ無理。
「野球選手」・「サッカー選手」になりたいと言っていた子供達も、早々に自分には無理だと気付く。というか、中学生・高校生の時点で野球選手になりたいって言っているのは、本当の天才かバカかの2択なはず。笑
今までは何となく「なりたい」くらいだったのが、「できない」と気付きだす。そして、何よりも「その状況を変える程の膨大な努力」をしてまで、その夢を叶えたくないことに気付くのです。
選択肢が多いことに気付く
中学生以降になると視野が広がり、世の中には色々な仕事や生き方があると知ります。というか、日々職業って増えていっていますしね。YouTuberだけ見ても最近の話ですし。
マーケティングで有名なジャムの実験。 ジャムの試食コーナーにて、24種類のジャム、6種類のジャムを用意。この2つに分けてどっちが売れるかの実験を行なうというもの。
結果は24種類のジャムを用意した場合、お客さんはたくさん来た、しかし試食に来た3%の人だけが購入。一方、6種類を用意した場合は、試食に来た30%の人が購入した。
人は選択肢が多いと、行動に至りづらくなるってことだね
これと同じで、仕事や生き方が山ほどあると、どれにしたら良いのか分からなくなってしまいます。
将来は実は遠くない
中学生で義務教育は終わり。例えば、すし職人や板前や職人が「夢」だった場合は、卒業したらいきなり始めることができるのです。
つまり、今まではずっと先のことだと思っていたから好き勝手「夢」を書けたけど、いきなり目の前にくると萎縮しちゃう。そうして、本当に自分は何がしたいのかを考えて、答えがでなくなってしまうんですよね。
夢を語り合うインチキセミナーに参加させられた話
4,5年程前の話です。僕がアルバイトをしていた塾で、セミナーをするから是非参加してくれと社員さんに言われました。講師のレベルアップを目標としたセミナーとのこと。その時間は給料も出るとのことだったので、とりあえず参加。
結果から言うと、気持ちの悪いセミナーでした。笑 参加者はその塾の講師(別の校舎の人も多く、ほぼ初対面の人達)、主催者は塾の社員さん方。
まずは班分け。その後、紙を渡されて、司会の社員さんがこう言いました。
自分の夢を書いて、班で話し合って下さい。その後、各班の代表者には全員の前で発表してもらいます!
う・・・キツい・・・
3時間あるセミナーのしょっぱながこれでしたから、なかなかそこからツラい。その頃の僕には「夢」などはなかったのです。社員さんも様子を見に来たりして、とりあえず「人と触れ合う仕事がしたい」などと全く思ってもないことを書いてその場を凌いでいました。笑
今思えば、正直に「自分には夢なんかない」と言えば良かったのですが。班で話し合って、班の他の人が代表になり、最後は各班の代表者が全体の前で発表。
塾講師が集められたということもあってか、学校教師になりたいという人が多かったですね。とある女性は、少林寺拳法の有段者で、そういったことの顧問もしたいと言ってたっけ。
終わってみれば、
うちの塾に就職すれば、みんなの夢叶っちゃうかもよ!
的なことで締めくくられ、終わる頃に「学生講師の囲い込みのセミナー」だったと気付いたわけなのですが。笑
そのセミナーでは終始、「夢を持つのは素晴らしいことだ」、「夢を持っていないと生きている意味がない」ということを声高に語っていました。本当にそうなのでしょうか。このセミナーは結構自分的にも影響が大きくて、あまのじゃくで「夢持たなくてもいいんじゃないの!?」と思う様になってしまいました。
「したいこと」よりも「できること」を軸に考えるべき!
「夢」 別名 「呪い」
こんな生活をしていたいなぁとか、短期の目標くらいならありますが、明確に「夢」って結局今もない。小学校の卒業文集で「弁護士」と書いて以降、僕の夢はブランクですね。
でも、今ではそれで良いと思っています。「夢」って便利で恐ろしい言葉な気がします。「夢」と言えば、ある時には色々な行為が許される免罪符になってしまう場面もあります。時には、自分の「夢」ゆえに、自分の行動や考えを制限してしまうことがある。
僕の大好きなアーティストRHYMESTER(ライムスター)の超名曲「ONCE AGAIN」でもMCの宇多丸が次の様にラップしています。
誰のせいにも出来ねぇし、したくねぇ
「夢」別名「呪い」で胸が痛くて
目ぇ覚ませって正論 耳が痛くて
いい歳こいて先行きは未確定
www.youtube.com
いや、「夢」別名「呪い」ですよ。。。さすが。。。言われてみれば、分かる気がします。必ずしも、「夢」は良いものとは限らないんですよね。
今何ができるかを考えよう!
思い返せば、僕はこれまで「何がしたいか」よりも「何ができるか」で生きてきた気がします。 具体的に夢があってそのために進学したことは一度もないです。背伸びしたら受かるかもしれない偏差値のところを受けていました。「頑張れば合格できるか」という基準だけでした。
数学が好きで、人よりも得意だったから理系に進みました。「夢」ではなく、「自分は数学が得意だった」から理系の進路を選んだんです。
今思えば、これで良かったと思っています。だって、目まぐるしい変化が起こっている現代社会で数年先の見通しを立てるのは難しいですよね。ましてや20・30年先なんてもってのほか。
こうなると、将来の「夢」という不確実性よりも、自分が今できることという確実性にベットした方が良いと思うんです。
例えば、僕が好きな堀江貴文さんもそうです。
(https://toyokeizai.net/articles/amp/74809)
ホリエモンの自伝「ゼロ」、大好きな本で何度となく読み返しています。この本で、僕が感銘を受けるのはある種の無軌道さ、目標の無さ。
「夢」があるわけではないが、「自分にはできる」からテレビ局の買収や、選挙出馬を実行するというあたり。どうしてするのかと聞かれたら、多分ホリエモンは「できるからするんだ」と答える気がするんです。
こうなってくると思うんですよね。
遥か先の目標を漠然と追いかけるよりも、目の前のできることに全力で取り組んだ方が良い未来が待っているのでは!?
まとめ
最後に記事をまとめます。
- 夢は、年を取るごとになくなってくるもの
- 夢を持つことは必ずしも良いことばかりではない
- 目の前の「できる」ことに取り組んだ方が、夢を持つよりも有益かもしれない
夢がない自分への一種の良いわけかもしれませんが、これで良いと思っています。自分は文章を書くのがそこまで苦じゃなくできるので、2年くらいブログを続けられているわけですし。
自分が「できる」ことを繰り返し続けると、「夢」よりも遥か先に行けるかもしれませんね。
ではでは!