SNSを辞めて、3年が経った。支障はない。まるでない。今後も一生SNSをすることはない。
結局現代社会では、SNSを一切辞めて、SNS企業の株を買う。これが一番賢い。間違いない。
SNSを辞めて早くも3年が経った
プライベートで投稿したのは、7年前
プライベートでSNSをやめて3年が経った。投稿レベルで見ると、一番最後に投稿したのは、7年前とかかもしれない。
LINKIN PARKのボーカルであるチェスター・ベニントンの訃報に関して触れたくらい。LINKIN PARKは再結成したけど、僕はSNS復帰はしない。
XもFacebookもInstagramもTikTokもやらない。mixiはちょっと懐かしい。
実際にSNSを辞めてみても、まるで不便はない。友人や知人の近況はまるで分からないけど、だからと言って困ることもない。
昔からSNSだけの繋がりにはちょっと懐疑的だった。SNSだけで繋がっている人間関係をそこまで重視もしていない。
ダンバー数ってものがある。1人の人がある時点で人間らしい関係を維持できる人数の上限を意味するもので、数は150人程度。
結局150人を過ぎると、把握できない。その人は僕らの人生にとってのモブキャラになる。
Twitterにハマったのも今や昔
僕が真剣にTwitterをやっていたのは、十年以上前で、大学生1回生の頃だった。
当時の自分には目新しく、画面の向こうだと思っていた、芸能人やアーティストがまさに同じ時間軸で生きていることに驚いたものだった。
思えば当時のTwitterは牧歌的だった、というか中身がまるでなかった。情報としての価値は非常に薄く、制限数の140字を達していないこともザラ。
「帰宅なう」とか「講義行ったけど、誰もいない」とか、本当に半径5mの生活圏内の呟きだけだった。
当時は東日本大震災からまだ数年くらいの時期で、原発問題に関してツイートしてみようと、開設直後に友人と話していると、「そういう政治的な内容とかは、ウザがれるしやめた方がええんちゃう?」と言われ、なるほどとなった記憶がある。
その後に、「ポケモンのアニメの最後にあったポケモン川柳で、二度あることはサンドパン、っていうのが一番好き」とツイートすると、友人は「そや、そういうのでええんや」と褒めてくれた。
しかし時を経て、Twitterを見ると、政治的な話やライフハック的な話ばかり。あいつ、変わっちまったな、って感じ。
マーケティングかなにかの教えで、「ブームは、若い女の子の間で生まれ、おじさんが参入すると終わる」ってものがあるらしい。とても分かる。
Twitterもまさにそうなってしまったんだろう。まぁただ、自分もそのおじさんに足を踏み入れてるし、何よりこの知識を知ったのもTwitterというのが、もやもやポイントではある。
Raybanのサングラスが安く買えますみたいな、アカウント乗っ取られもあったな、懐かしい。Twitterは初めて数年めちゃくちゃやったけど、そこからは興味がなくなった。
SNSがなくなったも、困ることはほぼない
情報収集でちょっと困るくらい
Instagramはアカウントだけ作って、投稿はしてなかったはず。今はアカウントも消してしまった。
プライベートでのSNSで、発信も、インプットも一切していないけど、全く困っていない。もうこれが結論である。
そりゃ、HIPHOPイベントの情報や、映画の新作の情報を拾えないという弊害もある。趣味にはちょっと影響ある。またトランプが大統領に再任したのを知ったのも、三日後だった。
テレビもそもそも設定していないから観れない。確実に世間とは疎くなっている。しかし困らない。日経新聞も取ってない。会社では取ってますよって顔をしてるけど、取ってない。
現代は情報過多すぎて、全員共通して知っている情報なんてほぼない。だから知らなくて恥かいたって場面に出くわすことが減ったんだと思う。
そして友人知人の近況を把握できなかろうが、支障はないと分かった。もともと人に興味がなかった。
しかも自分に結婚願望もなければ、子育て願望も皆無。誰が結婚しようが、扶養家族も増えようが、知ったことではない。
かねてから結婚は、マーケティングの産んだブームだと思っていて、SNSを断ったことで、そのマーケティングすら届かなくなってしまった。
それに本当に仲の良い友人であれば、結婚報告は直接来るし、まぁそれで良いやというのもある。
SNSに振り回させるのもバカバカしい
こないだ知ったんだけど、昨今は高校生女子の会話は、整形やメイクの話で持ちきりらしい。SNSで美の極限というか、ルックスの青天井ぶりを自覚してしまったんだと思う。
男子高校生からしたら、クラスメートの女の子の美意識が上がることは喜ばしいことだろうけど、女の子たちは大変だ。
誰かとの比較が、すでにそんな若年層まで、侵食しているってことの証左。僕が高校生の時なんて、同級生の女の子は可愛くないし、汚いし、垢抜けない子ばかりだった。失礼なこと言ってる自覚はある。
でもそれが許されていたし、大学生になってメイクを始めましたって子も沢山いた。今の時代だったら、人権剥奪されてたのかもしれない。
「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」という映画がある。余命宣告を受け、たまたま病院の同室になった2人の男。
性格は真逆だが、一度も海を見たことがないと言う片方の言葉で病院を抜けだし海を目指すって話。ラストがとにかく良い。
「知ってるか?今、天国では海の美しさについて語るのが流行ってるんだ。海を見たことないお前は置いてけぼりにされるぞ。」って、印象的なセリフがある。
パロディーにすると、「知ってるか?今、高校ではメイクや整形について語るのが流行ってるんだ。置いてけぼりにされるぞ。」ってところか。大変そう、頑張れ、JK。
SNSには魔物が住んでいる
自己承認欲求がバグる
SNSには魔物が住んでいて、終わりのない自己承認欲求レースの道が、キレイに舗装されている。
見た目が良かったら、バズる。センスが良かったらバズる。面白い発信ができればバズる。でも運次第。
見た目も悪い、頭も悪い、運も掴めない。そんな持たざる者たちが、醤油差しを舐めた動画を投稿しているのかもしれない。アホらしすぎる。
いいねを大量にもらっても仕方ないのに。「バガボンド」の宍戸梅軒のパンチライン「⚪︎し合いの螺旋から俺は降りる」。
マジでそうで、そもそもそのレースに参加しないのが一番良い。でも一回参加してしまったら、離脱できないんだよな、分かる。
SNSを提供してる企業に搾取されたくない
SNSを運用しているテック企業のエンジニアや経営層、バチクソに賢い。少なくともSNSで時間を消耗している人よりバカってことはありえない。
頭の良い人が、集まって、その頭をフルに使って、大量の顧客データをもとにトライ&エラーを繰り返してる。そりゃ普通の人は搾取されるに決まってる。勝てっこない。
でもそれで良いと思う。今僕の資産形成の大半は、アメリカのインデックスファンドの株。つまりSNSにハマり浸かる人が増えることで、僕の資産も増える。
それでも「SNSなんてやんない方が良いよ」っていう僕は、割と聖人偏差値高めだと思う。でも大丈夫、きっと誰も辞めない。
だって僕の記事を読んで辞めれる人は、たぶんとっくに辞めてる。休みの日に、適当に音楽聴きながら、コーヒー飲みながら、ささっと書いたこの記事。
テック企業の巨大資本とマンパワーのコンテンツに勝てるわけがない。だからSNSをやってる人は、今日も明日もその先も、時間と余力をSNSに捧げる。
結局現代社会では、SNSを一切辞めて、SNS企業の株を買う。これが一番賢い。間違いない。