本音で話し合える人が身近にいない、そんな人もいるのではないでしょうか。大人になると、建前で話す機会が増えます。そうなると本音で話せる時間は貴重になる。すると、本音を話せる相手も貴重に思えてくるんですね。
世間では本音を包み隠さず話せる関係が、素晴らしいものだと思われがち。しかし僕は、
って言いたい。そう、もしあなたが身近に本音を話せる相手がいなくても、別になんら問題はないと思うんです。
もっと言えば、本音で話し合い続けるって一種の拷問かも。建前って確かに面倒くさいし、煩わしい。しかし僕に言わせれば、建前は有益なもの。そして本当に面倒くさいのは、人間関係そのものって感じ。
・建前を話し続けるのは、面倒くさい
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
- 本音を話さずに、建前を話すのが大人の社会のスタンダード
- 本音を話し続けることは、ある種の暴力性を帯びている
- 建前ばかりを話しているあなたは、実は配慮ができる素晴らしい人
本音と建前を使って、僕らは現代社会をサバイブしている
社会の本音と建前
人は誰に対しても、本音と建前を持って生きているもの。現代社会の均衡は、人々の本音と建前のバランスによって成り立っています。世界の約78億人が、一斉に本音だけを話し出したら、終わりです。世界崩壊まっしぐら。
ラッパーZEEBRAの曲で、「結婚の理想と現実」って曲がありましたが、サンプリングして「社会の本音と建前」って曲を作りたい。
嫌なことだってあったぜ少しだけ
というフレーズで曲が始まるので、
嫌なことだってあるぜ少しだけ
とアレンジをしたい。本音生まれ、建前育ち、社会で顔色伺う人たち。
世界を支配している宗教、それは建前教
どの国でも、どの民族でも、どの人種でも、おそらく共通している法則。それは年をとるごとに、本音と建前のうち、建前の割合が上がるというもの。全く検証も何もしていないですが、おそらく合っているはず。
子供の頃に、遊びに誘われて、
と答えれるけど、大人になったら、
って言い出すのは、世界各国どこを探してもないはず。
発展途上国も、先進国も関係ない。ある意味平等、世界で一番シェアを占めている宗教、建前教。無宗教の日本人も、この宗教には首までどっぷり浸かっちゃってる。
ある程度の年齢なると、円滑な人間関係には建前が不可欠。社会に出たり、なにかのコミュニティに属す、そこで大人な関係を築くなら建前を言わないといけない。
本音をしゃべりたい、思いの丈を制御せずに吐き散らかしたい。でもそうするとジ・エンド。もらっちゃう引導。
本音でなんでも言えるもんなら、僕だって上司に、
って言いたいねん。
本音で話せる仲が素晴らしいと思われがち
建前がスタンダードになると、本音を美化してしまう
人は本音と建前を使って生きている、この前提で話を進めます。この条件下で出てくるのが、「本音が話せる仲が素晴らしい」という意見。裏を返せば、「本音を話せる人が身近にいないことは、不幸なことだ」という主張。
と悩んでいる友人も実際にいました。建前を話す人間関係がスタンダードになっていると、確かに本音で話せる人間関係は貴重に思えてきます。
辛いものばかり食べていると、甘いものを食べたくなる。いつも右手で歯磨きしているけど、今日は左手でやっちゃうぞ。こんなんと同じ発想でしょう。
でもこの風潮に対して僕はちょっと異論があるんです。本音で話せるって、そこまで重要なのでしょうか。なんかちょっと美化されすぎている気がするんですよね。腹を割って話せる人間関係こそ、真に価値のあるものだって価値観にそこまでしっくりきていない。
それよりも、「親しき仲にも礼儀あり」って言葉の方が僕は芯を食っている気がするんです。親友だからとか、本当に信頼できる仲だから、何を言ってもいいわけじゃないはず。
本音を言うのは、相手に理解を強要している場合もある
言いたいこと、思っていることを全部言って、「親友のあなただから言えました」みたいなことを言えばOKってわけじゃない。これってある種の暴力性を帯びていると思うんです。あまりにも一方的。
僕が中学校の時に、やたら耳にした言葉がありました。それが、
というフレーズ。誰かが人に対して、暴言や悪口を吐く。きっと本音から出た悪口でしょう。それをその友人が、フォローのために、「こいつ口は悪いけど、根は悪くないねん」と言う。
この言葉には昔からちょっと違和感があるんです。臆面もなく本音を言ってしまう人のことを、深く理解してあげてねという甘えに聞こえるんですね。
ぶっちゃけ、花屋さんで根っこが弱いけど花は咲き誇っているものと、立派な根っこだけど花は全然お粗末なものだったら、僕は前者を買う。花が立派だったら、ひとまずの用は足りるから。
そもそも相手のことを深く理解するのは非常に難しい。家族や親友などの近しい人間でも、必ず自分の知らない一面は存在する。親友の結婚式で、その知人のスピーチを聞いて、
とかって絶対になるはず。
長い付き合いの友人ですらこうなる。それなのに今日昨日知った仲で、自分に対して深い理解を求めるのはあまりにも幼稚すぎ。ばぶー。
結局何が言いたいかといと、本音を言える関係が必ずしも素晴らしいとは言えないということ。相手に対して、自分への理解を強要している場面もあるよってことなんです。
本音を話し合い続けるのは拷問だ
ドラゴン桜から学んだ本音論
ドラゴン桜の公式Twitteryより引用
僕が中学校の時に、一大旋風を起こしたマンガ&ドラマ「ドラゴン桜」。今は2作目のドラマもしています。革新をついた劇薬的な発言をする桜木先生。そんな中でも、僕の好きな発言のひとつが、
というもの。僕は中学生当時に、これを読んでかなり衝撃を受けたのを覚えています。この時は、「えええ、そうかなぁ・・・?」くらいに感じていたのですが、大人になるとよく分かる。
本音というのは、諸刃の剣なのです。いや悪い方に刀が大きい剣です。往々にして本音を言っても、ロクなことには基本ならない。そこには配慮も気遣いも何もないから。
親しい中だからと言って、何を言っても良いわけじゃない。胸のうちを全て吐露して、「あなただから本音を言えたんだよ」はかなりバイオレンス。
奥さんに暴力を振るうDV夫と、構造としては変わらないと思うんですね。歯に衣着せない本音は、言葉の刃なのです。本来踏み込まなくてもいいことにも、押し入って誰も得しない結果を産んでしまうこともある。
「闇金ウシジマくん」から学んだ本音論
こちらはドラゴン桜を読んでいた中学生よりも、もっと大人になって読んだ漫画「闇金ウシジマくん」。このマンガの中で多重債務者のモモカという女性が出てきます。このモモカは孤独。その理由は、
本音を言い続けるのはある種拷問。言われた人を傷つける場面も多いし、なにより自分の株も暴落しかねない。
そりゃ本音を言えば、友達って言ったってムカついている部分も0なわけじゃない、でもトータルして好きなのだ。それで良いし、わざわざその少ないマイナスを言う必要もないんです。
実際に本音を言い合っている人間関係は別に素晴らしくない、そんな状況は常に緊迫している。本音で話そうと思ったら話せる、でも配慮をして話してはいない。こういう人間関係がベスト。
本音を話さないことに慣れるべし!
本音を話すのは時と場合によります。基本は建前の世界、本音の純度100%の発言なんてできません。そんな状況を憂いて、「自分は自分を偽って生きている・・・」なんて悲観してはいけません。
常に本音でしか話せない人は、破天荒な人間なんかじゃありません。ただの身勝手な人です。あなたが羨ましがるような人じゃないですよ。
自分の胸襟を開いて、思っていることを包み隠さずに言う。誰しも受け入れてくれるわけじゃない、相手の負担になる場合もあります。本音なんて言わなくていい、その方が平和。
世の中に完璧な人間なんていない。もし身近にいたら、たまたま完璧に見える部分のみ見ているだけ。完璧じゃない人と接しているのだから、そりゃ不満もちょっとは出てきます。本音を言いたいからといって、この不満を全部言ってしまったら、世の中めちゃくちゃ。
もし学校や会社で、親しい人間も少なくて、
なんてあなたが嘆いてたら、全くそんな必要はないんです。あなたが誰にも本音を言っていない。これはあなたが、周りに不快感を与えなかったり、負担をかけないために配慮できる人間であるという揺るぎない証拠なのです。
べらぼうに優しい人です。もうすでにひとかどの人物です。これは胸を張ってもいい。
最後におすすめ映画を紹介しておきます。それは「完璧な他人」という映画。
ざっくりあらすじ。高校の同級生男4人とその妻3名でディナーをすることに。自称仲良しグループ。食事が進むに連れて、互いの友情や夫婦愛を確かめ合う会話で盛り上がる。
自分たちの間には隠しごとがないことを証明しようという流れになります。そこで行ったゲームが、その食事中にスマートフォンに届いた電話やメールを全員に公開するというもの。
ご想像の通り、次々とスマホに届く着信やメールにより、楽しかった夜会は一転してごっりごりの修羅場、阿鼻叫喚、陰惨な生き地獄になるのでした。いやー、やめときゃ良いのに。
と見ている途中にしみじみ。
最後って言いましたが、まだ言いたいことはありました。本音は基本は話せない、建前を喋るのが普通。これは確かに面倒くさい。気を使うし、確かにダルい。
もしこのことに不満を抱いているなら、一つ処方箋を。
もうこれでも良い。そうすれば建前を話す回数もぐっと減る。生活するため、お金をもらうため、最低限の人間関係だけをやり過ごしましょう。それでも良いと思います。
コミュニケーション不足よりも、我慢するコミュニケーションの方が、体に悪い、絶対に。
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
- 本音を話さずに、建前を話すのが大人の社会のスタンダード
- 本音を話し続けることは、ある種の暴力性を帯びている
- 建前ばかりを話しているあなたは、実は配慮ができる素晴らしい人
なんと、実はこれ、僕の本音なんですね。
このブログは、僕の実体験、考え、趣向をもとに記事にしている雑記ブログです。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めています。
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