職場やプライベートで、「自分は過小評価されている」と苛立ちを覚えたことは誰しもあるはず。
自分ではきちんと成果を出したり、実力があると思っているのに、周りはそうは見てくれない。これは本当に葛藤する。
しかし自称中級者は、自分を過大評価しがちという研究結果もあるようです。人の評価と自分の評価は、必ずしも一致しないのが世の常。
というのが僕の持論。過大評価されているよりも、過小評価されている方が絶対に良い。
なぜなら過小評価されていると感じる経験こそが、大きなモチベーションになることが多いから。
今過小評価されている人は、これから伸びる機会があるし、大きなチャンス。その気持ちを原動力にしていきましょう。
・周りは自分のことを正当に評価してくれないと感じる
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
この記事のまとめ
- 過大評価されている人間には、大したことのある人はいない
- 過小評価されているという不満は、大きな原動力になる
- 「周りはいつか分かってくれる」は通用しない、適度な自己アピールもしていこう
記事の前に自己紹介!
・一浪・一留を経て難関国公立大学理系を卒業→大手ブラック企業→超大手企業
・AbemaTVのオファーを受け、ひろゆきと討論しました ・20代で貯金1,200万円達成
・映画・読書・音楽と膨大なインプットから、生活に人生を充実させるノウハウを発信
人からの評価は大きく3種類ある
人からの評価は大きく3種類。過大、適正、過少の3種類、分かりやすい。
3つあるとは言いましたが、適正はあんまりいないような気がする。「人からの評価は適正だ」と全く思いこめている人は、かなりレアかも。
適正と思えればかなり幸せではあると思うんですよね。あんまり課題意識もないし、平和に生きていける。
続いて少ないと思うのが、
と感じる人。ここで大事なのは、あくまで「過大評価されていると感じる」というポイント。
過大評価されている人は、わんさか世の中にいますが、自分が過大評価されているとはあんまり思っていない。
会社では年下の上司が先輩社員である部下を評価するなんてこともザラにある。その際に気を使って、過剰に評価するケースなんてのもめちゃくちゃ多い。
ただしかし「自分は実力よりも、上の評価をされている、買い被られている」と思う人も一定数はいる。これはこれで悩みは根深そう。
自分の実力以上に評価されているから、いずれ実態がバレるし、崩壊するのは目に見えている。あんまり僕はなったことないから分かんないけど。
そして最後が過小評価。自分が過小評価されている感じる人。こう思っている人は、結構多いはず。ちなみに僕もこのクチ。
と半ば本気で思ってる。自覚ある。
過小評価されていると捉えて不満を抱えている人が、結局のところ一番多い。本当に過小評価されている場合もあれば、勘違いの場合もある。ここらへんの線引きは難しい。
また難しさに輪をかけているのが、過小評価は最後までバレづらいという点です。
過大評価がされている人が、蓋を開けてみれば、とんだポンコツだったってのは起こり得る。しかし実は超ナメてた人が、実は超絶的に優秀な人だったってのはあんまりない。
ランボーとか、イコライザーとか、もうここら辺は映画の世界。大好きなジャンルだけど、起こる可能性が少ないからこそ映画になっているとも言えるのかも。
過小評価されている人は、そもそも出番が回ってきづらいというのが大きな原因なのかも。あとは周りのバイアス。
と思われていると、成果を出しても、周りは正しく評価をしてくれない。
世の中は悲しいもので、「何をしたか」よりも「誰がしたか」を重視するものなんですね。過小評価されていると、過小評価されるスパイラルに飲み込まれがち。
僕はこれまで過小評価されてきた
おそらく勘違いによる要素もたぶんにありますが、僕はこれまで過小評価されて生きてきました。
これはプライベートというよりかは、主に仕事において。
前職では難易度が高いことをしても、相応に評価してもらった記憶はない。往々にしてそうですが、世の中の管理職は担当者の実務がきちんと分かっている人は少ない。
だから何をしているかよりも、その人が管理職にどう捉えられているかで評価は大きく変わってくるもの。
全く同じ仕事をしていて、同じクオリティで仕上げても、人によって評価が変わる。僕は上司と仲が悪かったので、何をしても認めてもらえることはありませんでした。
まぁそもそも僕が上司が好きでなかったので、それがうっすらと態度に出ていたのかもしれません。「大人は全員クソだ」とか「この会社の上司は全員嫌いだ」と反骨心マックス。
バイクに興味もない25の夜。夢みがちだった僕はセンチなため息をついていた、27歳の地図。そんな感じ。
過小評価されている人にとっておそらくあるあるなのが、周りの人から、
と思われるということ。僕なんかまさにそうで、僕が今までしてきた仕事は、猿でもできると思われていました。
そんで本当に猿みたいな知性をお持ちの社員の人に担当業務変えになり、引き継ぎを行う。その猿みたいな社員の人は、何度教えても理解できない。
と上司になぜかキレられる。うーん、こんなんばっかりやった。
もしあなたが過小評価されていると感じるなら、これが僕からのアドバイス。
謙虚な気持ちは美徳。自慢話をするよりも、自虐をして、場を盛り上げる方が、実は大人だったりする。でも過小評価につながる諸刃の剣だったりする。
真の実力を見抜くのにも、これまた真の実力がいる。真の実力のない人の前で、過剰に謙遜すると、本当にできない人間だと思ってナメられる危険性があるんですね。
能ある鷹は爪を隠すというけども、爪の有無まで気にかけれる鷹は、爪がある鷹だけ。
と中学生の時に何かの講演で弁護士の人が謙遜して語っていたのですが、アホな同級生は心の底から「弁護士は簡単なんや」って信じていました。これと同じ。
過小評価されていると弊害も多い。やはりナメられるし、下に見られて気分は悪い。
なによりも足を引っ張られる可能性が高まる。あなたが実力があるけど、過小評価されているとします。非凡な成功をすると、100%周りに妬まれます。
「こいつは自分よりも下だ」と思っているあなたの周りの人が、攻撃してくる。もしくはあなたがしたことを「オレもできるはず」と思って、取り組むも失敗して、逆恨みしてくる。
学生時代に自分よりもイケてないと思っていたクラスメートが、学年に一人はいる美男美女と付き合っているのを知って、イラッとした経験は多くの人にもあるはず。
「自分と同格かそれより下だ」とみなしている人に、抜かれるのが最も人間を苛立たせる。そして僕らは「自分と同格かそれより下だ」と思われている。痺れるぜ。
過小評価されている人は、逸材である
過小評価されていると、モチベーションが湧く
過小評価されている人はみんな逸材になれる可能性がある、これ僕の持論。だってハングリー精神があるもん。
ってマインドを持てるから。というか僕は割とこのマインド一本で、20代を渡ってきた気がする。
留年した時や、就活していた時や、会社員になり上司にいびられていた時や、ブログのPV数が全く伸びない時、転職活動をしていた時。
自分を評価してくれない人は、全員いつか見返す、そうフツフツと闘志を燃やしていました。この気持ちが若かった僕の最も大きな原動力だったのです。
僕が大好きなHIPHOPグループのRHYMESTERのメンバーであるMummy-D。楽曲の中で、
とラップしていました。分かる、これだ。世界がオレを分かるまで、やってやる。この気概。
過大評価されている人はたいしたことはない
学生時代のクラスメート、プライベートの友人、職場の同僚。絶対に一人は、実力以上の評価を受けている人間はこれまでにもいたはず。
別にかっこよくも器量があるわけでも頭が良いわけでもないのに、女子からチヤホヤされている男子がいた。実力もないのに、上司に気に入られ、大きな仕事を任されている同僚もいた。
その瞬間は良い。恩恵やメリットをガンガン享受しているから。しかしどうでしょうか。年月を経ってみると、どうなっているでしょうか。
瞬間最大風速が吹いて、過大評価をされまくっていた人は、いずれ落ち目になります。実力もついていないうちに一発当てた芸人が、一躍時の人となるもいずれ消えていくのと同じ。
過小評価されている場合は、実態と評価が一生伴わないこともある。しかし過大評価されている場合は、いずれ実態が評価を塗りかえる、必ず。なんとも皮肉な話。
過大評価されていると、メリットも多い。ただしその瞬間のメリットだけ。数年後に受けるメリットなんかなにもない。
その瞬間はうまくいくから、努力する気にならない。そして数年後自分の実力のなさに思い至る。
努力を始めるにしても遅いし、誤った成功体験のせいで努力を結局しない可能性もある。いずれにしても、良いことはない。
過小評価されているマインドは持ち続けるべき
歴史上で偉大な発見をした人は、総じてそのタイミングで評価されていない。後々だったり、なんなら亡くなった後に評価されている。
地動説を唱えても完全にクレイジーだと思われていた。ゴッホは生涯で一枚しか絵が売れなかったなんてのも有名な話。
功績を収めた人たちは、過小評価されてきた側の人間であることも多い。
ただしかし自分が過小評価されていると思っても、それが正しいとは限らない。主観なのでここがどうにも難しいところ。
世界で最も重要なビジネス思想家50人にも選ばれたアダム・グラントの著書「THINK AGAIN」。
と書いていました。
若い僕らが自信を持っていても、実態とかけ離れた自信であることも多い。自分の実力の見積もりが上振れして、過小評価をされていると感じている可能性もある。
とキルアも言ってた。
しかしそれでも過小評価されているというマインドは持っておくべきだと思う。
過小評価されていると思い込むことで、僕らは原動力を維持できるから。人生をより推進していくためにも、「自分の価値を知らしめる」という意気込みはあった方が良い。
適度な自己アピールも必要
過小評価されているマインドは大事。そのマインドを持つことが、モチベーションとなる。
と理解しておくのも、これまた大事。ここら辺は僕が完全にできていなかった部分。
黙ってやるべきことをやっていれば、周りは気付いてくれるなんて甘い幻想。ホットにしたコーラくらいに甘い。飲んだことないけど。
過剰になってはいけないけど、自分から自己アピールすることも大事。
というのがこの宣伝文句の「ハーバードの人の心をつかむ力」という本。
「頑張ってるけど、周りが認めてくれないし、過小評がとまらない」って人にオススメ。
努力が報われるとは限らない。だから努力が報われる環境を作る努力を僕らはしないといけない。そのひとつが自己アピール。
過小評価マインドは持っておき、努力を続けましょう。そして自分の努力が報われような環境を作ることにも努力しましょう。
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 過大評価されている人間には、大したことのある人はいない
- 過小評価されているという不満は、大きな原動力になる
- 「周りはいつか分かってくれる」は通用しない、適度な自己アピールもしていこう
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