「完璧な人間なんていない」、そう正しい。しかし「ほぼ完璧な人間なんていない」も、これまた正しい。
というか人は誰しも痛くてキモい。正確に言うと、「どんな人でも、絶対に痛いしキモい部分はある」。

・上手く人と付き合うことができない
という人にむけて書きました。

「完璧な人はいない、なんならみんな痛くてキモい」、これを胸に刻み込む。もちろん僕も痛くてキモい部分はいっぱいある。
だからこそ人に期待しすぎてもダメ。恋人や友人、会社の同僚や先輩や上司、過度な期待はしない。
そして本当に親密になりたい人には、自分のキモい部分も知ってもらうべき。心を開くって、きっとそういうことだから。
人間関係における真実に気がついた
ほぼ完璧な人もいない
社会に出て7〜8年経つ。気づけば遠くまで来たもんだ。
転職もしたし、部署の異動も多く経験した。社外の人とも会う機会も多かった。
多種多様な人と触れ合う中で、ひとつの真実に気がついた。

例外はない。どこかの会社の社長であっても、会社のエリート社員であっても、全員当てはまる。
仕事はできるけど、口調が荒いとか。穏やかだけど、実は男尊女卑とか。和かだけど、めっちゃ自己中とか。見た目が良いけど、見た目でしか人を判断しないとか。
当然ながら僕だってそう。痛いしキモい部分はいっぱいある。
「完璧な人間なんていない」、これは真実。しかし「ほぼ完璧な人間なんていない」も、これもまた真実。
老若男女、みんなキモい部分がある
よく考えたら当たり前。それぞれの育ってきた環境が違う、価値観が違う。
とある人には正しく思えても、他の人からはキモく見えるってことは往々にしてある。

こんな人には、とっておきの解決策がある。あるんやで。

これしかない。人に感想を持たれる機会をなくせば、あら簡単、すぐに解決。
しかしそうはいかないよね。生きている中で、人間関係を0にするってかなり難しい。
だからこそ「人が潜在的に持つキモさ」を、受け入れる寛容さを持つべき。
人はそもそもキモい。キモい部分が必ずある。老若男女、どのジャンルの人にも欠点がある。
おっさんおばさんは、おっさんおばさん特有のキモさがある。とはいえ若者にも、若者特有のキモさがある。


高収入でも、イケメンでも、必ず痛い部分は存在する。それが人間。
ダウンタウンの松本人志が「そいつの良い所・悪い所を10個ずつ言えて初めて友達や」って名言を残している。
そう。これは本当にそうだと思う。本当に親しくなりたいなら、その人の痛い部分やキモい部分を知っておくべき。
人と仲良くなるには、その人のキモい部分も知るべき
キモさを知らないうちは、仲良くはない
初めて恋人ができた時、しばらくして誰もが、「あれ、こんな一面あるんだ」ってなる。
ずっと好きだったあの子。見た目も良いし、人当たりも良い。完璧やん、完璧じゃないか、そう思う。
しかしいざ恋愛関係になると、「自己中なところあるな」とか、「親しい人には礼儀が足りてないな」とか、色々と見えてくる。
「口が臭い」とか、「毛の処理が意外と甘い」みたいな外見の部分でも気付くことは多い。
人間関係は例外なくこんな感じ。遠目から見たら真っ白い壁でも、近くで見ると黒ずみも目立つってなもの。


キモさは個性であり、自分との違いである
そもそもキモくない人は、無個性であるとすら思う。
「キモい」とか「痛い」って、自分の思う「普通」とギャップがあるから感じるもの。つまりは外れ値であり、特異点。
とある人がキモく見えたら、それは個性。そして他の人からは、魅力的に見えているかもしれない。
僕もキモいし、あなたもキモい部分は必ずある。だけど仕方ない。人ってそういうものだから。
キモさにどう向き合うか
人の「キモさ」を理解する
人に期待しすぎてはいけない
人間関係に悩んでいる人は、そもそも相手に期待しすぎているかもしれない。
「上司が無能だ」とか、逆に「あの部下は使えない」とか、イライラする。
友人や恋人とに対して、「なんで分かってくれないねん」と不満に感じる時もあるはず。
これは相手に期待をしているからこそ、起きてしまう出来事。「そもそも人は不完全で、キモいところが必ずある」と思うと、気持ちが楽になる。
最近たまに耳にする「蛙化現象」ってのも、この最たる例かも知れない。「相手の些細な行動や仕草で、好きな人を嫌いになってしまう」ってやつ。


この「蛙化現象」も、そもそも「人はキモいところが必ずある」って思っておけば、回避できる。
SNSなどで、その人のキラキラしている部分だけ見るからそうなる。身近な存在になって、接触機会が増えたら、必ずキモい部分に気付く。
映画の予告はめちゃくちゃ面白そうだけど、実際に鑑賞したらそうでもなかった。こんな経験は誰しもあるはず。
ダイジェストで見ると、素晴らしく見えても、いざ深く知っていくと欠点も見えてくる。映画も人間関係も同じ。
常識は人によって、それぞれ違う
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」、これはかのアインシュタインの名言。
時代によって、常識は変わる。国によって、常識は変わる。例えば歴史を遡ってみると、こんなに違いがある。
歴史の中での常識
- 同性の恋愛は当たり前だった
キリスト教などの一神教ではNGだったが、古代ギリシャ・中国・近代までの日本では当たり前。織田信長や徳川家光など有名な武将も男性と恋愛をしていた。 - 「お金を稼げる人=偉い」って価値観はなかった
江戸時代の日本では、金持ちの商人よりもお金のない武士の方が地位が高かった - 命の価値が低かった
戦国時代では特に。農民は「口減らし」として、生まれたばかりの子供を◯すこともあった


そして現代でも、同じ国でも、人によって常識は違う。常識、畢竟、偏見。僕らの当たり前は、誰かにとって異常。
「あの人は常識ないな」とか、「ちょっとおかしい」と思っても、僕らの偏見の外にいるってだけかもしれない。だからキモく見える。
自分のキモさにどう向き合うか
人はそれぞれキモい部分がある。というか自分から見て、キモく思える瞬間が必ずある。これがここまでの、ざっくりした要約。


ここが大事。僕もあなたも例外ではない。ここの客観性は持っておきたいところ。
自分では自分のキモさに気付けない。灯台下暗し。自分も誰かからは、おかしい部分があると心得る。これこそデモクラシー。
でも嘆く必要はない。僕らの痛さやキモさは、個性の裏返し。表裏一体になってる。
クセ、趣味、好み、全て解釈によっては、美しくもなるしキモくもなる。これは外見と内面どちらにおいても。

「人に心を開く」というのは、とどのつまり、「相手に自分のキモい部分も知ってもらう」ってこと。
偉そうに言ってるけど、僕は人間関係で下手な部分がある。初対面の人には、ビビらずにガンガンいける。
しかし恋愛関係になったりすると、妙にカッコつけてしまう。良い部分だけを見せてしまう。


そしてその恋愛が終わった後は、「あんまり心を開けなかったな」って反省する。この繰り返し。
深い関係になりたいなら、不快な部分も見せないといけない。自分に言い聞かせてる。
尊敬している人でさえも、完璧ではない
僕らが尊敬している人でさえも、必ず欠点はある。ないと人ではない、もはや神の領域。
名言を放ってくれたアインシュタインも、プライベートでは女性問題が絶えなかったそう。
ノーベル賞の賞金も全て、奥さんに対する慰謝料にあてたらしい。うーん、キモい、痛い。
あなたが今この記事を読むのに使っているiPhone。その生みの親、世紀の天才スティーブ・ジョブス。
世界を変える偉業を成し遂げたけど、人間性はかなりクズだったらしい。とにかく自己中心的で、多くの人に嫌われていたらしい。
世界を「変える」ジョブスの、「蛙」化現象って感じ。
歴史上の偉大な偉人でもこんな有様。歴史に名前はおそらく残らない、僕ら市井の人がキモい部分があるなんて当たり前。
人間関係に悩んでいる人は、「みんなキモいところあるしな」って割り切ってしまう。そうすれば過度に期待せずに済むし、気が楽になる。
そして自分自身にもキモい部分があることは自覚し、その部分を「魅力的な個性」と受け入れてくれる人を大切にする。
これでいいじゃないか、人間関係なんて。こうやって生きればいいじゃないか、人生なんて。
まとめ
では、最後にこの記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 人に期待しすぎず、「誰しもキモい部分はある」と理解しておこう
- 「心を開く」とは、「自分のキモい部分を知ってもらう」ってこと
- 自分のキモさを、魅力として受け入れてくる人を大事にしよう
サラリーマン生活をより豊かにするための情報に特化し、ブログの記事を投稿しています。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めております。
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