会社員コルレオーネBLOG

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無駄に思えることこそ人生のスパイス!無駄を楽しむことが人生の質に直結する!意味のあることだけを追い求めていてはつまらない!

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無駄を楽しめるものが人生を制す。意味のあることのみを追い求め続けていては、そのうち息苦しくなってきます。

 

世の中で「効率性」や「生産性」が強く求められている中で、一見不要と思われるものが排除されている気がするのです。何かをする際に、「意味があるかないか」よりも「自分がしたいかどうか」で選択する方が本当は大事なのに。

 

僕の趣味の映画鑑賞や音楽鑑賞などは、考える人が考えると無意味に思えるでしょう。でも、僕はそこにこそ人生の楽しさを見出しているのです。 

 

「なくても死なない」とか、「してもお金にならない」などと短絡的に判断してしまうのはあまりに悲しい。人生の豊かさは無駄の中に潜んでいるはずなのです。 

 

・意味がないと思っていても、好きでしてしまう行為がある
・他の人から見て無駄なことでも、自分にとっては生きがいになるものがある

 

という人にむけて書きました。

 

最初に結論から!

 

  • 「無駄か無駄でないか」よりも、「楽しいか楽しくないか」で判断しよう!
  • 無駄を全て排除した人生は、間違いなく味気ないものになる!
  • 金になる努力よりも、自分の好きに正直な努力の方がいつか大きな花になる!

 

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無駄は排除される風潮になってきている

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昨今の世の中を見ていて、どうも無駄を根絶しようという流れになってきている気がするんです。もちろん、この意見は賛成ですが、無駄の括りを間違えてしまうと恐ろしい。

 

効率性を求めて、工夫して無駄を排除するのは良いのですが、何でもかんでも無駄と思ってしまうのは良くない。「無駄だから小説は読みません」とか、こうなってくると勿体ない。

 

「生産性」という言葉が根付いて久しいですが、どうもこれだけでは割り切れないものある。嫌なことは無駄を排除して行う時間を減らすべきだし、していて楽しいことは無駄だと思ってもするべき。

無駄をなくすことで、楽しむ心は消えていく

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最近では、個人発信が当たり前になってきました。これによって色々なことが変わってきました。その中でも、個人的に大きな変化だと思っているのが、「無駄なことに意味を付けれる様になったこと」

 

例えば、ファッション。僕も好きで、服やアクセサリーやスニーカーを買ったりします。ですが、この購買行為におそらく意味はない。だって、最低限の衣服中は既に持っていますもん。

 

これまでは、ある種無意味でも自分の人生の満足度が高まるから買っていました。しかし、

 

  • 爆買い企画
  • 購入品紹介
  • 上期で買ったものベスト 

 

など、自分の購買行為をコンテンツにすることができる様になってしまいました。これらの企画おそらくYouTubeとかで一回は目にしたことがあるはず。

 

今までは、自己満足で買っていましたが、「発信する材料」という意味付けができたのです。ここまでは良いのですが、最近違和感を感じることがあります。

 

それは、「好きなものを買ったから発信する」のではなく、「発信する為に何かを買う」という様に思考が変わってきているということ。

 

つまり、今までショッピングという様な自分で満足し完結していたものに、いたずらに意味付けをしてしまったのです。 

 

もちろん悪いことではないのですが、こうすることで「無駄を楽しむ権利」をある種放棄している様にすら感じてしまうんですね。

 

何かの意思決定を行う際に、人は脳内で色々な物差しを使います。「意味があるかないか」・「無駄になるかならないか」という物差しで考える場面も多いと思います。ですが、僕が最も大事にしないといけない物差しは「楽しいか楽しくないか・好きかどうか」だと思うんですね。

 

意味があるかどうかの損得勘定でそろばんを弾いているだけでは、得れない満足度は確かにあると思うんです。今まで無駄だったことに無理矢理にでも意味付けを行うことで、「楽しいか楽しくないか・好きかどうか」という最も大事な指標をないがしろにしている様な気がします。

 

今こそあえて無駄なことをしてみる

無駄の中に好奇心や興味が詰まっている

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意味が無さそうだからしない/お金にならないからしない

 

こんな主張をする人に言いたい。

 

うるせぇ!無駄でも無意味でも、やりたかったらやればいいやん!楽しそうだからするでいいやん!

 

最近見ていて、意味がないからしないって人はいますが、非常に勿体ない。というか、「意味がない」とか「無駄」と切って捨ててしまうのは一種の思考放棄です。

 

  • 美味しいものを食べること
  • オシャレな服を着ること
  • 旅行に行くこと
  • 本を読むこと
  • 音楽を聴くこと
  • 映画を観ること
  • スポーツをすること

 

これらは全て無意味と言えば、無意味。というか、無くても死なないし文化そのものが無駄。というか、もっと言えば、人間が生きていることも無駄と言えば無駄かもしれない。

 

「無駄だからしたくない」はある種のブラックホールで、全ての行為に対して興味や好奇心を奪ってしまうおぞましいパワーを持っているのです。

 

言ってしまえば、僕は無駄なことしかしていない!

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僕は別に一円にもなりませんが(というかむしろ出費・・・笑)、本を多く読みます、TSUTAYAに行き時間をかけて選び映画を借りてきて観ます、タワーレコードに電車賃を払って通ってCDを買って聴きます。

 

無くても死なないけど、自分がオシャレだと思う服を買います。必ずしも知見が広がる保証も無いのに、飛行機のチケットを予約して行ったことも無い国に行きます。

 

正直こんなことしなくても良いのです、死なないし。というかお金も減らないし。ですが、こんな無駄な行為が全くの0になると、間違いなく僕の人生は味気なくなるのです。

 

このブログもそうです、収益化はしていますが、時給換算すると全然微々たるもの。近くの飲食チェーン店で、同じ時間バイトをする方が遥かに大金持ちになれます、間違いない。

 

では、何故そうしないのか?お金を稼ぐのに、あえて効率の悪いことをしているのは何故か?簡単です。

 

ブログを書くのが好きだから。書いていて楽しいから。

 

これに尽きます。ブログを初めて、約300記事。始めたときは、100記事も書けばPV数もお金もコレくらいになるだろうと、食べたら一瞬で虫歯になるくらいの甘さで考えていました。しかし、300記事書いた今でもその予想に達していない。

 

でも続けている、何故か?

 

ブログを書くのが好きだから。書いていて楽しいから。(2回目)

 

周りを見ると、SNSを開くと、YouTubeを覗くと、自分よりも遥かに成功している人が多くいます。それを見て焦る気持ちになるのは分かります、「無駄なことしている時間はない」となるのは僕も同じです。

 

ですが、考えてみて下さい。世の中の成功者って、おそらくみんな楽しんでいると思うんです。お金のためのではなく、好きだから・熱中できるからこそ没頭し、人並み外れた成果を挙げているはずなんです。

 

「お金の為にがんばる」のはある種簡単、「無駄に思えるものでも、好きだから続ける」という方がもしかしたら難易度が高いかも。ですが、好きで続けたものの方が、いつか思いも寄らぬところで大きく実を結ぶはず。

 

 

 

泥流地帯 (新潮文庫)

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続 泥流地帯 (新潮文庫)

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最後に、三浦綾子の傑作小説「泥流地帯」の中で僕の心に刺さったセリフを!

 

実りのある苦労なら誰でもするさ。
しかし、全く何の見返りもないと知って、苦労の道を歩いてみるのも俺たち若い者のひとつの生き方ではないか 

 

まとめ

では、最後にこの記事をまとめます。

 

  • 「無駄か無駄でないか」よりも、「楽しいか楽しくないか」で判断しよう!
  • 無駄を全て排除した人生は、間違いなく味気ないものになる!
  • 金になる努力よりも、自分の好きに正直な努力の方がいつか大きな花になる!

 

こう考えると楽です、人生楽しめます。無駄でも良いんです、自分が楽しめるなら、好奇心を満たせるなら。

 

他の人から見て無駄なことでも、自分の満足度が上がるなら難しく考えずどんどんトライしていきましょう!

 

ではでは!