子供好きですか?え、僕ですか?仕方ないですね、お答えしましょう!
そうなんです、僕は子供が嫌い。遠巻きに見ているのも好きじゃないし、接するのも好きじゃない。
「子供は可愛い」と言われますが、あまりその可愛さは理解できません。犬とか猫の方がよっぽどキュートというか。
アラサーで独身男性の僕ですが、子供嫌いは昔から。年を経てもこの気持ちは変わらず。
世の中の風潮として、子育てするのが絶対的に正しいとされていますが、果たしてどうなのか。
アンチテーゼを唱えてみたい。将来どうなるかは分からないけど、今は子供は欲しくない。そんな気分。
・周りの友人が子育てしているけど、別に子供は欲しくない
という人にむけて書きました。
子供がいた方が幸せ、という風潮
「子供=幸せ」を盲信している現代社会
一応エクスキューズしときます。書いているのは、あくまで今の気分。将来どうなるかは、分かりません。
自分のことだけど、自分でも分からない。タレントが本出してみるものの、年月が経って全く違うことしてるのと同じ理論。
ということで行ってみよう。Here we go。
まず苦言を呈したいのは、世の中で「子供がいる=幸せ」という図式が成り立ち過ぎているってこと。
確かに幸せなんだろうとは思います。というか幸せだと感じていなかったら、とっくに人類は滅亡しているはずやし。
「子供がいなければ良かった・・・」という意見も、なんだかんだ聞いたことはない。
思っていても、あえて口に出す人が少ないだけなのかもしれませんが。まぁわざわざ言わんわな。人格疑われそうやし。
コミットメントに支配されてるかも
名著「影響力の武器」で、人間には「コミットメント」って性質があるって書いてた。
コミットメントとは?
人は一貫性を保とうとする。もしくは、少なくとも周りからは、そう見えるようにしたいと思う。公の場で、自発的に約束(コミットメント)をしたら、なるべく最後までそれを守ろうとする 。
もしかすると、このコミットメントが働いて、
って思っているのかもしれない。真実は分かんないですが。
「子供がいる、だから幸せ」は分かる、文句は言いません。ただ「子供がいない、だから幸せじゃない」、この風潮には反論したい。
もう良い年齢なのに、子供がいないと、なんとなく世間の風当たりは冷たい。アラサー同世代を見ても、子育てをしている人間は素晴らしいって捉えられてる。
別にそれはそれでも構いません。ただあまりにも賛成意見が多すぎて、反対意見が少なすぎる。
反対意見がないのが、一番ヤバい
マネジメントの神様であるピーター・ドラッカーは、名著「経営者の条件」で、
と書いていました。
意思決定において、意見の不一致こそが問題への理解を促す。これが神様のご意志。
と僕はこのスタンスで挑みます。あえて、あえてですけどね。
子供を愛するのは、意思でなくて所詮は本能
人は自分に似ているものを好む
「犬は飼い主に、徐々に似てくる」と言いますが、これは半分正解で半分誤りなんだそうです。人がペットショップに行って、犬だか猫だかを選ぶ。
これから長らく一緒に過ごす家族。そりゃ入念に選びますよね。
この時に無意識で、「(自分の顔に似ているのはどれかな?)」となっているんだそうです。
自分に似ている動物を、意図せずして選んでいるのだそう。
だから結果的に似ているように見えてくる、こんなカラクリなんですね。
人間は自分と類似点が多い人を好みます。親近感を持つし、重要な存在だと感じる。
これの究極系が、子供だと思うんですね。類似点どころではない、DNAが受け継がれているんだから。DNAをキメちゃってんだから。
自分と似ているものを目の前にすると、人間の好感度が爆上がり。なるほど、そういうカラクリなのね。
これが僕の持論。ヨーロッパとかアメリカ人の子供は確かに可愛いけど、日本人の子供はあんまり可愛くない。
子供の造形が、そもそも可愛くない
思想とかじゃなくて、単純に見た目での話。日本人の4歳児よりも、ちゃんとした24歳の大人の女性の方が、僕は好感が持てるんです。
ピクサー映画って好きですか?「トイ・ストーリー」とかを作ってる、あのピクサーです。
僕は映画が好きで、ピクサーの映画も大好き。ピクサー映画を観ていて、特に好きなのが子供の描き方。
ピクサー映画は小さな子供を、小動物かなんかみたいに描写しているんです。
言語が通じなくて、とにかく暴れ回っている。論理性のかけらも見当たらない。子供は、獣。大人は、のけ者。
「子供って、話できないし、行動も荒っぽいから、もう動物やんな」ってピクサーのクリエイター陣の精神が透けて見える。
この発想が好き、非常に僕の気持ちを組んでくれている、気がする。
「子供がいなくても良い」という選択肢
選択肢が多いのは、絶対的な善である
世の中に、絶対的な正義ってなかなかない。でも選択肢が多いことは、絶対的な正義と定義してしまって良いと思うんです。
日本で一番有名なニートPhaさんの著書「ニートの歩き方」の中でも、
と書いていました。正解はいくつもあった方が、僕らは生きやすい。
ということで、「子供はいなくても、別に問題ない」って選択肢が、もっと世の中に浸透するべき。
子供を持たないって選択肢にもリスペクトを
ある程度の年齢になったら、子供を作って子育てに勤しむ。これが日本人の正しい姿、よろしくどうぞ。この風潮には、ちょっと反対したいんです。
あえて子供を設けないって選択肢にもっとリスペクトを払った方が良いと思うんです。
って意見もあるかもしれません。確かにスポーツ選手でも、アーティストでも、キャリアを積み重ねると、後発組の教育に注力したりします。
これはこれで、ある種正しいのかもしれない。自分以外の存在の責任も背負う、これが大人なのかも。
何かを育てるのが、人間としての責務であるならば、僕はネコを育てたい。人間の子供より、ネコの方が好き。今の感覚では。
子供は贅沢品である
子育てには3,000万もかかる
値段が高いものを身につけていると、周囲から引かれることがあります。ちょっと反感を持たれることもある。
時計や服やバッグなど、高価なものを持っていると、やっかみを買ってしまう。だから自分の持ち物の値段を、みんなあえて言わない。
しかしどんなブランド品よりも、子供の方がはるかに贅沢品。どんな高級外車よりも、維持費がかかる。
とある生命保険会社のサイトを見たんです。子どもが0歳~大学を卒業する22歳までの子育てにかかる総額は、なんと約3,200~3,600万円が目安と載っていました。
これって、フェラーリとかランボルギーニと、同じくらいの値段なんです。
つまり子供が3人いる家庭は、フェラーリ3台所有しているのと同じなんですね。そう考えると、いかつい。
何かの本で、子供のいることの最大の効用は、
と書いていました。子供がいると、確かに自分が亡き後の世の中も、関係者ではある。自分の血を継ぐものが、存在しているわけやし。
子供がいることで、間接的にではあるけど、自分が消えた後の世界を体験できる。大きなメリットと言えます。
しかしこれは子供でなくても可能なはず。子供がいない芸術家や小説家は、自分の作品が後世に残る。自分が作ったものが、その人を当事者にしてくれる。
分かりやすく芸術家としましたが、サラリーマンでも問題ないです。その人がした仕事が、ずっと残ることもある。
子供がいなくても、世界と繋がれる
不朽の作品を産む。名作じゃなくても構わない、残るものであればそれで良い。そうすれば消えることはない。あなたも僕もずっと生きていられるんです。
僕に言わせれば、これは最もキレイにラッピングされたエゴだと思うんです。欲望のくせして、良い扱いを受け過ぎ。
結局のところ、今回僕が主張したいのはこれです。
別に子供は欲しくない、少なくとも今の僕にとっては。子供を求めていない人、僕と同志ですね。よろしく、どうぞ。
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
この記事のまとめ
- 「子供がいた方が幸せ」というのが常識になっている、意義あり
- 選択肢が多いことは絶対的な善である、子供を作らない選択も尊重されるべき
- 子供は贅沢品、高級外車を所有するのと同じ
このブログは、僕の実体験、考え、趣向をもとに記事にしている雑記ブログです。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めています。
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