語彙力は現代社会で生きていく上で、欠かせないスキルです。手書きで書いたら、「語い力」としか書けない僕でもそんなん重々承知しています。
分厚い辞書の中には、単語が渦巻いています。しかも年々新しい言葉が生まれています。僕らは何かを見て聞いて感じた時に、それを表現するための言葉の選択肢は無数にあるんです。
でもどうでしょうか。僕もそうなので偉そうなことは言えませんが、

の一点張りになってたりしませんか?僕らは有り余る選択肢を持ちながらも、その恩恵をちっとも享受できていないんですね。なんともったいないことか。
大人であるならば、語彙力にあるに越したことはありません。適切なシチュエーションで、ぴったり当てはまる言葉をチョイスできる人こそ、真に知性と教養溢れる人間だと思うんですね。

・大人だけど語彙力を伸ばしたい
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
- 流行語や便利な言葉を多用するのは禁物
- 語彙力は必要だけど、難解な語句を使わなくてもOK
- 語彙力を伸ばしたいなら、小説を読む一択である
甘い甘い流行語、便利な表現という罠
僕は流行語は好きじゃない。というか流行に乗れるほど感度が高くないだけなんですけどね。
ある日を境に、世の中でめちゃくちゃ耳にする様になる言葉たち。誰も彼もが次々に口に出すのにちょっと違和感を覚えます。どんな言葉を選んで口に出すかで、その人の人間性が出るんじゃないのかなって思ってしまう。

というのが最近最も「むむ?」となる言葉、ちなみに。至る所でで聞きますね。「〜に勝るものはない」という意味なんだとか。古文の活用系っぽいな。
僕が気になっているボードゲームに「カタン」というものがあるんです。全世界でもプレイされていて、名実ともにボードゲーム界のトップ。
いずれは遊んでみたいと思ってます。きっとハマるでしょう、よくできたゲームみたいだし。そうなると、

って言っちゃうのかなぁ。なんて冗談はさておき。
本当かそうではないかはさておき、漢字は5万個あるらしい。だから「ごまんとある」なんて言葉もあるんだとか。
その5万個の漢字を組み合わせて、できる言葉の数なんてもう計り知れません。日本語って非常に数が多い。ちなみに日本国語大辞典には約50万語も収録されているらしいです。
日本語の語彙数は桁外れに多い。これは事実として分かりました。さて、ここで次の疑問が湧いてきます。

ちなみに英会話は1,000〜1,500語の単語を覚えていれば、日常会話はできるみたいです。意外と少ない。簡単なコミュニケーションをとるのに、そこまで多くの語彙数は必要ないんですね。
ところが日本語でも、最小限の語彙数で会話を行おうとしている人もちらほらいる気がします。「ヤバい」とか「スゴい」という異常なカバー範囲を誇る言葉や、「〜しか勝たん」という流行語に支配されている気がするんです。


語彙力は知性と教養に直結する
言葉を持たない大人は野蛮である
語彙力がない人は知性とか教養に欠けている。裏を返せば、学歴とか関係なく、語彙力がある人は知的に見えるんですね。
僕らは目の前で起こった事象に関して、自分の言葉で表現しないといけません。頭の中に浮かんだことや、心の中に湧いてきた感想などなど。
端的にかつ的確に表現できる人ほど、知的でありセクシー。反論覚悟であえて言いますが、

大人は会話やメールなどのやりとりの中で、自分の脳内を相手の脳内にトレースして理解させてあげないといけません。そのために的確な表現を使って、状況を説明する必要があるんですね。
知っている言葉の数が多いと少ないとでは、相手の理解度も大きく変わってきます。それこそ「ヤバい」や「スゴい」など、何にでも使える表現を多用したり、擬音語で誤魔化したりなんかはしてはいけません。
自分が言葉を知らず、伝える選択肢が少ないのを良いことに、他の人に理解を強要するのはいただけない。
そんなことでは、大人としての色気がまるでない。ノーボキャブラリー、ノーセクシー。
どんな言葉を選ぶかで、その人が形成されていく
また誰でも使える様な言葉しかチョイスできないのであれば、その人の独自性は失われてしまう。

なんて思われてしまいます。初対面での印象はほとんどが外見ですが、そのうち徐々に内面に焦点があっていきます。
どんな人なのか、どんな環境で育ってきたのか、どんなことに興味があるのか、などに注目が集まるんですね。
注意しておきたいのは、この時にどれだけ豊かな内面を持っていても、それを表現できないとそれは無意味ってこと。もちろん周りの人から見れば、という観点に絞って考えればということです。
絵の才能や歌がうまいとかダンスができるとか、肉体で表現できるものであれば、問題はありません。ただしそれ以外のものであれば、自分の言葉で表現する必要があるんです。
どんな言葉を知っているのか、またそれをどの様にチョイスするのか、このプロセスで人は形成されていきます。
あえて難解な表現は使わなくてもOK
語彙力があるに越したことはないし、話す際にチョイスできる語彙数が多い方が良いに決まっています。しかしここで、

という問題が出てきます。これはまさにその通りで、語彙力が高まると、意識しないと相手に話が伝わりづらくなるんですね。
人は自分が知っていることを、他の人も知っていると思ってしまうんですね。「これは常識だろう」なんて思い込んでしまう。
知識を得ると、その知識を持っていない人の気持ちが分からなくなってしまうことがあるんです。「知の呪縛」なんて言われているやつですね。

最も顕著なのが、専門用語でしょうか。その分野の人と話していたら、当たり前に知っている専門用語であっても、その分野外の人からしたら全く分からないこともしばしば。
表現や言葉としてはちゃんと存在するし、文献や辞書に載っている。そんなしっかりと存在証明できている言葉でも、相手は知らない可能性は大いにあるわけです。
もちろん知っておく価値はあります。自分が何かをインプットする際に、知っておいた方が圧倒的に理解が早いからです。
しかし自分から発信し、相手に伝える際には、言葉を知っていることが足枷になることもあります。ここは注意が必要ですね。
相手が理解できる範囲の言葉を選ぶという気配りもまた必要なのです。ブログなどの文章を書く際の心得のひとつとして、「中学生や小学生にもわ理解できる様に書こう」というものがあります。
多くの人に分かってほしいなら、意図的に平易な表現を用いる方が賢明ってことですね。わざわざ難解な表現を使って、自分の賢さアピールする必要もないってことです。
2ちゃんねるの創始者、我らがカリスマひろゆき。フランスに住んでから、説明力が向上したというのです。


海外に住んで日本語のボキャブラリーが少なくなったのが、良い方向に作用したとのこと。
語彙力はある方がいい、でも相手に分かりやすく説明できる方がもっと良い。時と場合や相手や状況によって、言葉を使い分けれるのが最も理想的ですね。門外漢の小学生にも、その分野のベテランの人にも、分かりやすく伝えられる、こんな風になりたい。
語彙力を高めるために本を読もう!
語彙力は必要ですが、人や状況に応じて用いる語句を選択できるのがベター。ここまでは分かりました。
ではどうやって、語彙力を伸ばすか。もうシンプルですね。本を読むこと、これだけです。とにかくある程度の数を読みましょう。
本を読んで語彙力を身につけるとなると、「効果が出るまで時間がかかるのでは?」と懸念される方もいるでしょう。実際そうだとは思います。本を一冊読むのに、何日かかりますし。
そしてその一冊を読んだところで、急激に語彙力が伸びるわけでもありません。しかし読み続けていくと、確実に語彙力は向上します。急がば回れ。
読むならビジネス書ではなく、小説がおすすめです。ビジネス書は人に情報やノウハウを伝えることがメインなので、表現の多様性は若干低め。
それに対して小説は、描写が細かいし数が多い。自分が生活していては知ることがなかったであろう美しい日本語を教えてくれます。
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個人的に「最もバリエーション豊かな日本語を使っているな」と思うのが、ハイパー文豪の夏目漱石。名前は非常に有名ですが、実は読んだことがないって人も多いのではないでしょうか。
あっても学校で「こころ」を読んだとかそんなところではないでしょうか。是非読んでみてください、読まないなんてもったいない。
日本語ラップの若手筆頭株に裂固というラッパーがいます。彼もまた夏目漱石の大ファンであることを過去に公言していました。
https://twitter.com/rekko0624より引用

てなことを言っていました。
個人的なおすすめは遺作の「明暗」。読み進めていると、自分が日本語のたった一部しか知らなかったんだなと反省してしまうこと必至です。



まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
- 流行語や便利な言葉を多用するのは禁物
- 語彙力は必要だけど、難解な語句を使わなくてもOK
- 語彙力を伸ばしたいなら、小説を読む一択である
現代において、言葉は力です。腕力が力だった時代はとっくに終わっているのです。力をつけましょう。そうすれば自分の意見も通りやすくなるし、人との諍いも減るはず。
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