人に話しかけるのが苦手なんです。人と話すことはどちらかと言えば、得意なのですが、自分から話しかけるのが苦手なんです。なんか恥ずかしいし、気合入れないと話しかけられません。
僕のコミュニケーションは受けの一手なんですね。話しかけられて、会話をスタートする。自分から進んで会話をスタートすることができません。
また仕事で僕が注意されることとして多いのは、「自分から動いていない」とか「主体性がない」とかそういう類。やることやっていても、そう見られてしまっている様なんです。

と最近思ったんですね。自分から人に働きかけるってエネルギーがいります。しかしそれを乗り越えれば、新たなるチャンスが生まれるはず。

・人に話しかけるのが面倒くさい
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
- 人に話しかけられないのは、会話が盛り上がらない時に責任をとりたくないから
- 自分から話しかけると、脳のブローカ言語野が発達して気持ちが前向きになる
- 人生で主体性を鍛えるために、自分から話しかけるのはトレーニングとして最適
目次
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僕のコミュニケーションの欠点は「待ち」の姿勢
僕は人と話すのはそこそこ得意です、しかし人に話しかけるのがめちゃくちゃ苦手なんです。人と話していたら普通に盛り上がるし、気まずい雰囲気になることもない。
だけど自分から話しかけることができない。街中やオフィスで知り合いを見つける、でも自分からその人に声をかけれないんですね。向こうから声をかけられるのを待っていると。
もし話しかけられなかったら?そりゃもう簡単、その人とはその時に話しません。
そこまで何とかして話したい人ってそこまでいないですし。こう思ってる時点で良くないのでしょうが。
知り合いを見つける、僕は自分から話しかけれず押し黙っている。そして向うから声をかけてくれる。

みたいな白々しいなんとも茶番なリアクションをして会話を始めると。うーん、我ながらこれはなかなかウザい。
別に人と話すのはそこまで嫌いではないのですが、面倒くさいと感じているのもまた事実。親密な関係の人ならいざ知らず、微妙な距離感の人なら話さない方が楽ではと思ったりもするんですね。
自分から話しかけないと、必要以上のコミュニケーションをとらずに済む。これはこれで楽。人と話して面白くない話ばかりで疲れてしまったり、話がなかなか終わらず無駄な時間を過ごしてしまうなんてこともない。
このスタンスでこれまで来て確かに省エネで生きてはこれました。しかし弊害もあって、同性異性問わず話しかけたくなる人がいても、会話できないことも多いんですね。
自分から声をかけれないから、待っている。そして向こうから声をかけてくれないと、結局何も起こらない。せっかく同じ場所にいるのに、勿体ない。
さながら思春期の女の子が、思いを寄せる男の子に声をかけられるのを待っているかの様。これをアラサーの男がやっているんだから、タチが悪いったらありゃしない。
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なぜ人に話しかけられないのか?
自分から人に話しかけれない、こんな悩みを抱えている人は僕以外にもいるはず。僕の持論ですが、この世で唯一の悩みってないと思うんです。僕が悩んでいるレベルのことは、たぶん日本だけで見ても何十万人・何百万人は悩んでいるはず。
ではなぜこうなってしまうのか。理由は大きく2つあると思っています。
- 単純に面倒だから
- 気が進まないから会話が盛り上がらなくても責任を取らなくていいから
一つ目は分かりやすいですね。人と話すのが面倒だし、話す気にもならないから。
ちょっと意識したいのが二つ目です。人と話しても会話が盛り上がるとは限りません、というかなんなら盛り上がらないことがほとんど。
話す、話題が見つからない、無理やり話題を探すも沈黙が続く、気まずくなって終了。誰でも一度は経験があるはず。
こうなった際に、心のどこかにうっすら罪悪感みたいなものが湧くと思うんです。「なんか気まずくしてもうたなぁ」みたいな。この時にモノをいうのが、どちらが話しかけたか。自分から話しかけたのか、相手から話しかけられたのか。
もしここで自分から話しかけたのであれば、責任を感じますよね。自分が蒔いた種が咲き乱れてるわってなってしまう。しかしここで相手から話しかけられている場合、気は楽になります。自分がこの悲劇の引き金を引いたわけじゃないって思えるんですね。
自分から動いて招いた結果ではない、だから自分に責任はない、そんな逃げの考え方をしてしまっているのが今の僕。単に人に話しかけるのが苦手ということで止まっていればまだ良いのですが、そうではありません。
こういうのって一事が万事なんですね。こういう思考をする根本の部分が一緒なのか、仕事も僕はこんな感じなんですわ。自分からわざわざとりにいかないし、人に働きかけるのを面倒くさがっている。なんでなんでしょう、たぶん勇気もないんですね。
自分から話しかけたり、働きかけて、上手くいかなかったり拒絶されたりするのが怖がっている。自分から話しかけたことで、向こうから面倒くさいと思われたくない。
人に話しかけられて「面倒くさい」とか「今は話したい気分じゃない」とかよく思ってしまうのですが、人も自分のことをそう思うんじゃないかとビビってると。
確かに自分から動かないのは楽です、ストレスも少ない。君子危うきに近寄らず、これもまた真実。
しかしこのまま自分起点で物事を動かせないと、自分から人に話しかけれないと、弊害もある気が最近してきました。自分主導で可能性を広げれなくなってしまう気がするんです。
いきなり主体的になるのは難しい。まずは具体的な行動を変えるべき、小さなことから始めるべき。自分から人に苦労なく話しかけられるようになりたい!
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今日から自分から話しかけられる人間になるために
自分から話しかけるとブローカ言語野が鍛えられる
まずはモチベーションを高める話から。アメとムチってなもので。話しかけないと可能性は広がらない、これはムチです。
次にアメの話。自分から話しかけると、脳科学的に見て、脳に良い影響があるのです。僕らは脳をもっと進化させることができますと。知らなかったでしょ!?


僕が参考にしたのは、岩崎一郎さんの著書「脳磨き」。僕が手元に置いて繰り返し読んでいる一冊です。
岩崎さんは普通の知性の人達が、天才知性を超えるパフォーマンスを発揮できる組織作りの企業研修を提供する会社「国際コミュニケーション・トレーニング株式会社」を創業した人。
現在までで約200社の企業研修を実施。脳科学を使って、ビジネスを大きく推進しているのが著者の岩崎一郎さん。普通の知性の僕は、もちろん購入、天才知性を超えたい。
この中で岩崎さん自身の体験談が書かれていました。40代の頃の筆者は人とコミニケーションを取るのはことごとく苦手だったのだそう。
そんな状態を改善したくて、「声かけプロジェクト」なるものを始めたそうです。自分から誰かに声をかけて話す、至ってシンプルなもの。僕の状況に通ずるものを感じます。
広い会社の建物内で久しぶりに会った同僚だったり、あるいは道端でたまたま知り合いに会ったりする。普通だったら、「久しぶり」とか「こんにちは」とか言葉が自然に出てきます。しかし岩崎さんは、そんな時に声を発することすらできませんでした。
脳科学の観点からこの状態を改善するには、言葉を発する時に活動する脳の部位であるブローカ言語野(運動性言語中枢)を鍛えなければいけないと考えたそうです。
そしてこのブローカ言語野が鍛えられるのは、まだ誰かと会話が始まっていない時に、「こんにちは」や「ありがとう」などと自分から声を発する時なのです。自分から話しかけると、脳が鍛えられる。
脳はただでさえネガティブバイアスを持っています。悪い情報を見つけようとする時に、ブローカ言語野のある下前頭回が弱っていると、さらに悪い情報にばかり意識を向けるようになってしまいます。
つまりブローカ言語野を鍛える、すると下前頭回が強まる、すると脳が悪い情報をキャッチしなくなり脳が前向きになる。風が吹けば桶屋が儲かる、挨拶をすれば脳が前向きになる、まさにこんな感じ。
自分から人に声をかけることで、ブローカ言語野のある下前頭回を鍛え、気持ちを前向きにする効果が脳科学的にはある。自分から声をかけるしかない!
話しかけられるようになるための心構え
さて次は自分から話しかけられる様にするための心構えを考えていきましょう。心構えや具体的なアクションを僕なりに考えてみました。これを守れば、話しかけ偏差値開成高校クラスのバケモノに生まれ変われるはず。
僕が考えた話しかけられる様になるプランはこちら。
自分から話しかけられるようになるために
- 職場や学校で一日一回は自分から話しかける
- コンビニやスーパーや飲食店で、店員さんに必ずお礼を言う
- 会話が盛り上がらなくても、話しかけて気まずい雰囲気になっても、自分から話しかけられただけでOKと考える
- ある程度先読みしてから話しかける
想定される2・3ラリーくらいを最初にイメージしておくと、話しかけるハードルが下がる
上から3つはおそらくそこまで難しくないはず。ただ意識しないとできません。
どうでしょうか、普段からちゃんと店員さんに挨拶していますか、この機会に徹底しましょう。店員さんにお礼を言うなんて100%正しい行為です、声をかけても絶対に批判されないシチュエーションから慣れていくのがベターです。
4つ目はちょっと難易度高め。僕みたいに話しかけて盛り上がらなかった時に罪悪感を感じてしまう人への提案です。





とかこんな感じ。会話の滑り出しさえできれば、そこから比較的スムーズに進むはず。
将棋とかでも、格闘ゲームとかでも、スマブラでも、開始直後ってだいたいこういう立ち回りをするよねってのがある。そんな感じで会話もお互いが乗り始めるまでの流れがあるので、そのスタートさえうまく切れれば、会話もそこそこ盛り上がるはず。
主体性がこれからのカギになる
僕がこれまでの生きてきて感じること。

という感覚が非常にカギになっているということ。自己納得感とでも言うのでしょうか。
簡単なものでも、難しいものでも、ストレスがかかる時とそうでない時があります。そうなる要因は様々ですが、この自己納得感がまさにその要因のひとつ。
簡単なことでも無理矢理やらされたらストレス溜まるし、難しいことでも自分で選んで取り組んでいるならストレスって少なくなる。
主体性を持つ、能動的である。エネルギーがいることではあるのですが、一瞬のこのエネルギーをケチることで後々にもっと大きなエネルギーをじわじわ消費していくことになるんじゃないかと最近気付きました。
自分から進んで決定した、この感覚が僕らを後押ししてくれる。今諦めたらThe End、攻めの一手で向かう次の次元。
自分で動かず話しかけず、機会が降ってきたり人から話しかけられるのを待っているだけでは確かに責任は伴いません。自分でしたことではないので、責任の所在は別の人にある。
しかし自分がアクションをしていないと、得られるリターンもたかが知れてる。無責任でいられるだけのリターンしか生まれない。
人生は主体的である方がきっと楽しいし、長い目で見れば楽。確かに面倒な瞬間ばかりだろうけど、長期間に渡って嫌々させられるのよりは幾分かマシ。
そう考えると主体的に人生を生きるための骨格作りとして、自分から人に声をかけるのは最適なトレーニング。話しかけるという行為を通じて、自分から動くという姿勢作りができるから。
自分からアクションを起こせる姿勢を磨けば、きっとどんなことにも主体的に取り組める人間に近づくはず。いきなり「主体的・能動的に動ける人間になれ!」とアドバイスされても難しい。
具体的に何をすれば良いのか分かりませんしね。それだたったらまずは自分から話しかけられる人間になる、この方が確実に主体的・能動的に動ける人間に近づける。
別に何もナンパをしろって言っているわけではないですよ。日常生活で知り合いを見かけたら、自分から声をかけようってだけです。早速今日から自分から話しかけられる人間に、僕と一緒に、なりましょう!
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
- 人に話しかけられないのは、会話が盛り上がらない時に責任をとりたくないから
- 自分から話しかけると、脳のブローカ言語野が発達して気持ちが前向きになる
- 人生で主体性を鍛えるために、自分から話しかけるのはトレーニングとして最適
匿名のブログなら好き放題書き散らかせるのに、実生活で人に声をかけれない。よくよく考えると、なんともしょうもない人間です、僕は。
頑張らないと。

このブログは、僕の実体験、考え、趣向をもとに記事にしている雑記ブログです。会社員をしながら、毎日少しづつ書き溜めています。
この記事が面白ければ、是非他の記事も読んでいって下さい。貴重な時間を頂きありがとうございました。ではでは!