こんにちは!
ビット・コルレオーネです。
(アルファベット表記だと検索しづらそうなのでカタカナ表記にしました笑)
さて、今日は僕の趣味である読書について少し触れたいなと思ってます。
ところで、皆さん読書は好きですか??
僕は本を読むのは大好きで、時間の差こそあれ、本を読まない日はほとんどありません。
でも、最近の大学生とかのデータを見ると、ほとんど本も買わない・読まないらしいですね、もったいないなぁ。
よく言われていますが、本は費用対効果がすごい高いんですよね。
ある人が、その人の英知や知恵や経験を結集させて書き上げたものが(ゴーストライターってな場合もあるかもですが)1,000〜2,000円で自分のものになる訳です。
学校の授業ではテキストを用いて学びますが、人生という場面でのテキストとなる本も多くあるんですよ。
こう考えると、読まない理由はない訳です。
今回は、哲学を少し取り扱いますね、「なぜ人は存在しているのか」な話です。
と言っても、僕は哲学を選考していた入りした訳ではないので、完全にド素人な意見ですが笑
(ちなみに大学時代は情報工学を専攻してました、C言語・C++・Perl・Shellとかとか。またプログラミングのお話もしたいです。)
今回扱いたい本はこちら・・・
ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」
【あらすじ】
主人公は世界各地を旅行した後に、ブーヴィルという架空の町の安モーテルに住んでいる30歳の独身男性アントワーヌ・ロカンタン。
彼はある日、海辺で小石を拾う。ところが、その瞬間に「吐き気」を覚える。なぜこの小石は「存在」しているのかを考えてしまったのだ。この出来事に端を発し、彼は自分がなぜ「存在」しているのかが分からなくなり・・・
だいぶざっくりしたあらすじですが、この小説は主人公のロカンタンが自分の「存在」や「生きる意味」を探し求めるという話です。
彼は豊かな金利生活者でかなりの教養の持ち主、生きるために働く必要がないという恵まれた状況にいる。しかし時間を持て余しているため、毎日「存在」について頭を悩やませてばかりいる。
かつての最愛の恋人だったアニーに会えることになり、彼女と会える日に人生の希望をかけるが、話は噛み合わない。挙げ句の果てに、アニーは新しい恋人と新天地に赴くと伝えられる。
彼の唯一の友人だと思っていた「独学者」(彼は町の図書館に入り浸り、タイトルのAから順に読み進めているかなりの知識フリーク)とも、お互いの思想が食い違い、袂を分かってしまう。
もう、どこにも救いがない、なんで生きているのか・・・
しかし、この話の最後には希望が用意されているのです。
※以下、ネタバレ含みます!
彼は町を出る決意を固め、いつも通っているバー「鉄道員の溜まり場」へ。
そこで、彼は一枚の古いレコードを聴き、このレコードのメロディと歌を聴いていると不思議と「吐き気」が止まる。
この瞬間彼は芸術は自身を正当化できる力を秘めていることに気付いた。
そして、彼は才能があるかの自信はないが、本を書く決意を固める。
「この本はアントワーヌ・ロカンタンが書いた本だ」と言われるために、自分自身の存在を後世に残すために。
彼は自分が存在する意味は本を書き、他の人に影響を与えるためだと気付いてこの話は終わります。
あれ・・・ だとすれば、ブロガーって「生きる意味」を明確に見つけれている人たちではないでしょうか!!
そうです、ブログを用いてアウトプットを行い、その書いたものを人に見てもらえている人は、ロカンタンから見て「生きる意味」を見つけれている人たちに他ならないのです。
実は、僕がブログを初めた大きな理由の1つがこの考えからでした。
(まだ、初めて2日ですが笑)
平日は仕事なので休日更新が主になりそうですが、これからもブログを書き自分の人生を肯定しながら生きていければと思います。
全ブロガーに幸あらんことを!!
ではでは!!