コラム

もうすぐ30代半ば、まだ独身。仕事の目標もない。

ブロ豪(コルレオーネ)

文豪ならぬ、ブロ豪|関西出身、独身アラサー|資産3,700万円突破|ABEMA primeに出演、ひろゆきとも討論|就活で覚醒し内定5社。就職偏差値SSランクの企業へ、年収100万円UPで転職。|

30代半ばになったけれど、新入社員の頃とメンタリティは変わっていない。

 

出世したいという思いはないし、結婚に対しても消極的だ。しかし徐々にそんなことも言えなくなってきた。

 

 

 

おかしい、こないだまで19歳だったはずだ

高校を卒業してからが異様に早い

 

 

気がつけばもう30代になって、3年近く経っている。おかしい。少し前まで僕は19歳だったはずだ。

 

20代とかじゃない。10代だったはずなのだ。どこかで時間軸がバグってる。

 

20歳の大学生と話していた時に、「中学校の修学旅行は行けなくて」と言っていた。体調不良だったのかな、そう思った。

 

しかしよくよく聞いてみると、コロナで修学旅行そのものがなかったらしい。え、今の成人って、コロナの頃って中学生だったんだ。俺、コロナ禍、大人だったよ。20代後半だったぜ。

 

高校卒業してから、15年近く経っているらしい。全く実感が湧かない。

 

 

ジョジョ6部、徐倫が判決を言い渡され、その期間が15年。確か19歳だったはず。そう思うと、15年懲役終えて、34歳。もしかすると一瞬の投獄期間かもしれない。

 

ちなみに「ジョリーン」って、打ったら、「徐倫」ってすぐに変換できた。やるやん、MacBook。

 

僕は熟女ならぬ、熟男

 

 

その観点から考えると、株式などへの投資も絶対にしておいた方が良い。時間が経つのは早いから、気がついたら複利が効いている。そして気がついたら、老けている。

 

夜の世界やAVのカテゴリで、「熟女」は30〜35歳以降だそうだ。俺、熟女なのか、性別こそ違えど。熟男。じゅくだん、響きがキモい。じゅくだん、じゅんぶんぐん。ズクダンズンブングン的な。

 

とは言うものの、あまり年齢を経た感じはない。今だに食欲は健在で、とにかく四六時中お腹が空いている。こないだも回転寿司で20皿くらい食べた。

 

ちなみにあわせて食べたデザートや、うどんとラーメンは、この20皿には含まれていない。だから実質25皿くらいは食べた。

 

21歳から映画鑑賞にハマったけど、同じペースでずっと映画を観ている。本も変わらないペースで読んでいる。ここのインプット量の差はあまりない。

 

  • 十分な睡眠を摂るには気合いがいる
    すぐに眠って、朝まで熟睡となるためには、入念な準備が必要になった
  • 性欲が減った
    と思ったけど、浪人生の頃もあんまりなかった、ただ勃ちは悪くなってる気がする
  • 音楽への興味が薄れた
    サブスクサービスになってから、音楽へのありがたみが薄くなった
  • 若いアイドルが分からなくなった
    「全員一緒の顔に見える」と言っていた、あの日のおっさんを思い出す

 

ここら辺は変わってきた部分かもしれない。

 

社会人になってからの心境の変化

我ながら、まるで成長していない

 

 

社会人になって10年近く経つ。振り返ってみると、驚くほど自分のスタンスが変わっていない。

 

「仕事なんて固定給をもらうためのものだ、金のためにやっている」、「会社員をしているメリットは社会的な信用を得られるからだ」、このメンタリティが全く変わっていない。

 

この機会に、ブログを始めて、間もない頃の記事を読み返した。こういう時にブログは便利だ。ストック型の資産である。過去の自分の思考が分かるってもの。

 

驚いた。なんも変わってない。まるで成長していない、と同義である気もする。

 

ここ一年くらい小説を書いている。文学賞に応募するものの、ちっとも通らない。というか、大きな文学賞にチャレンジしたのが、今年の「すばる文学賞」のみ、まだ一度だけなんだけど。

 

ブログは斜陽も斜陽。開設して7年以上経つけれど、「これでがっぽり稼いで、脱サラだ!」という意欲はもうない。というか最初の数年で消えた。

 

ブログで稼ぐって、会社で出世するより難しい気がする。ルートが見えない。しかも稼いでいるブログって、面白くないことも多い。アフィリエイト特化で、生産者さんの顔が見えない。

 

文章を書くという楽しさは変わらず

 

 

ただ文章を書くことは楽しいので、書くという行為は続けたい。そんなことで小説を書き始めた。

 

きっかけを探せば、無数にあると思う。文章を書くのが好き。小説を読むのが好き。ここは前提としてある。しかしこの二つが揃っている人なんてのは、いっぱいいるはずだ。

 

萌芽はおそらく三年近く前にあった。会社の先輩の家で、忘年会をしていた時に遡る。その先輩は読書家で、本棚に色々な本があった。

 

その中にその年にとある文学賞を受賞した、骨太な長編小説があったのだ。僕もその本は購入して読んでいて、なんならサイン本を買っていて、「面白いですよね」と、その本に触れる。

 

するとそこにいた同僚の女の子が、手に取ってページをめくりながら、「お兄ちゃん、この作品に負けちゃったんですよね」と、おもむろに呟いたのだった。

 

どういうことか理解できないでいると、その本の末尾についている、後書き・審査員コメントのページを開き、見せてくれた。

 

最終選考に残った作品の一覧と、それぞれの評価。そしてなぜこの本が受賞に至ったかのコメントが書かれている。

 

「これ」と指差したのが、最終選考に残った作品のひとつで、なんとその女の子の、兄が、第二親等が、そんな快挙を成し遂げていたのだと言う。

 

年齢を聞くと、自分とほぼ変わらない。ここで目から鱗が落ちた気がする。

 

小説を書いて、文学賞を獲ってみたい

 

 

そこから書店で、新人文学賞を受賞した人の本を読むと、同世代が多いことに気が付いた。20代後半〜30代前半に多いのだ。

 

ある程度の人生経験を積んで、言いたいことも出てくる。かつ日本語を使って、相手に意思を伝えることも慣れてきた。そんなタイミングだからかもしれない。

 

そう言うのが堆積して、「俺も書けるんじゃね!?」ってなった、というのが経緯。勘違いだと言われたらそれまでだけど、勘違いで始まる挑戦があっても悪くない。

 

ちょうど今、朝井リョウの新作を読んでいる。「イン・ザ・メガチャーチ」という小説。まだ冒頭の100ページくらいだけど、身震いがするほど面白い。

 

それぞれの人物の葛藤が描かれていて、心の機微の描き方がとても生々しい。とある同じをテレビ番組を見ていても、メインキャラクターのそれぞれの捉え方が、全く違っているシーンがある。

 

それぞれの性別、年代、社会的地位から考えて、その捉え方は自然で、すんなり頭に入ってくる。それを数人分行っているので、この人はマジで多重人格なのかなって思う。

 

「羅生門」のように、この人からはこう見えているけど、あの人から違ったように見えています、という書き分けが上手すぎて、嫉妬する。僕にはこんなのが書けるんだろうか。やっぱり勘違いだったのかもしれない。

 

年齢を改めて確認すると、僕の三歳上。「桐島、部活辞めるってよ」でデビューしたのは知っていたけれど、年齢は驚きの20歳。

 

しかも、「すばる文学賞」を受賞してのデビューだったのだ。僕が今年応募して、一次選考にすら受からなかったやつ。雲の上過ぎる。

 

だけどまぁ、こういう遥か高みを独走しているプレイヤーがいるというフィールドがあるというのは、マンガ的でそれはそれで充実しているのかもしんない。

 

周囲の人間関係で、可能性が広がる

 

 

一流企業に入った同級生、プロボクサーになった同級生(引退済み)、会社を起こした同級生、YouTuberとしてバズった同級生、海外移住した同級生。この辺りはいる。

 

しかし小説家になった知り合いは、身の回りに誰もいない。こういう特殊な職業は、身近になっている人がいるかどうかで、心理的な距離に大きな差ができる。

 

知り合いの二親等、遠いような、近いような。しかしとにかくその距離で、小説家になりかけた人がいるというのが、僕の抵抗感を取っ払ってくれたことに違いない。

 

余談だけど、この同僚の女の子は、そこから一年くらいして退職した。もし小説家になれたら、改めてお礼を言いたい。

 

出世をしたくはない

 

 

僕はもともとキャリア志向ではない。出世したいと思わない。ここも社会人になった頃から変わらない。

 

入社して10年近くも経てば、「出世したくない」という言葉の重みも、多少変わってくる。新入社員の頃は、この言葉は、リアルじゃない。地に足が着いていない。

 

まだ昇格とか、管理職になる同期とか、そういった比較対象が存在しないからだ。なんとなくみんな横一戦で、このまま仲良くスクラムで良いじゃんって発想になる。

 

しかし10年も経つと、割とはっきり、こいつは出世ルート、あいつはそうじゃない、みたいな分けができ上がっている。ちなみに僕は後者。仕事はサボりまくっているから、自己責任。仕方ない。

 

横一線では、とうになくなっている。他の人からの視線、ある。シビアな上司からの評価、ある。給与面での差、ある。年下の上司が発生する確率、ある。

 

こういう雑多な設定が、追加されるので、前提が変わってきている。最初の無課金アバター、なんにもないですよ状態では、すでになくなっている。

 

だけど、そんな状況になっても、やっぱり出世はしたくない。お金は欲しいけれど、責任が重いのは嫌だ。管理職はみんな忙しそうで、憧れはしない。

 

出世ルートには乗らず、平均くらいのところで踏ん張って、そこそこ給料をもらう。空いた時間で書いた小説が、文学賞を受賞し、まつわる印税が入ってきて、資産形成が進む。そうなるのが、思い描く一番の理想系かもしれない。

 

「個人として、ワンチャンを狙いながら幸せを目指す」のが良いと、ひろゆきも述べていた。ちなみに、7年前の自分のブログの記事で、この言葉を引用していた。

 

この時は、ブログでワンちゃんを狙っていて、今は小説で狙っている。そういう意味でも、僕は大人になれていない。

 

結婚に関して、思うこと

結婚はマーケティングの産物だと思ってた

 

 

出世したくないという気持ちと同様に、結婚なんてしなくて良いやという思いもあった。

 

結婚なんてマーケティングの産物でしょ?みたいな、冷笑スタイルを貫く。子供も好きじゃないから、子育てだって別にしたくない。

 

教育費高いんでしょ?別に払いたくないっす。そんなテンション。

 

20代の頃は、まぁこれでも良かった。独身の人も大勢いたし。ただ30代も半ばに差しかかると、潮目が変わる。

 

同い年、なんなら年下が、結婚して、子供が産まれて、家を建てていたりする。羨ましいという感情はあまりない。

 

しかし「覚悟がすごいな」とか、「まだ無責任で生きていきたいな」とか、ついつい考えてしまう。家を買うということは、そこで定住するということだ。

 

転勤もあるかもしれないし、違うところで生きていきたくなるかもしれない。「家を買う」という行為が、人生を縛る鎖のように見えてしまう。

 

東京とか都心であれば、まぁ選択肢多いしねと思うのだけれど、東京の不動産なんて高騰しまくってるから、あんまり現実的ではない。

 

ちょっと話はズレたけど、結婚に対してどう向き合うか問題は、依然として考えないといけない。

 

独身であることが外れ値になってきた

 

 

人間は社会的な生き物、という事実を今一度噛み締める。そこそこの年齢になったけれど、結婚をしていないということで、なんか気まずい。

 

周りからの目線が気になる。あとは友人たちが結婚したことで、遊べるメンバーが減った。女性との大きな差だと思うんだけど、男って男と二人で遊ぶことって少ない。

 

男が集まるのは、集団であることが多い。ある程度の年齢以上の男二人ペアはあまり見かけないけど、五人くらいの集団は居酒屋などでもよく目にする。

 

男がプライベートで、気兼ねなく遊ぼうとすると、まとまった母集団が必要なのかもしれない。つまり気が合う、かつ独身の、友人がまとまった数いてくれないと困るのだ。

 

となると休みの日に遊んでくれるメンバーってかなり減ってしまう。こういう点では、女性は羨ましい。二人でも集団でも、家庭があってもなくても、軽やかに人間関係を楽しんでいる気がする。

 

ということで、自分の内面的な変化はあまりなく、どちらかというと年齢を重ねたことで、取り巻く環境が変わり、僕のマインドを揺さぶってきている。インサイドアウトではなく、アウトサイドイン。

 

「老後は独りぼっちになるのか」などと心配もないわけではない。まだ健康にそこまで生きれる保証などなにもないのに。

 

というかそんな30年以上も先のことを心配する前に、もっと憂うべきことがあるはず。

 

そんな先のことを考えれる奴は、目の前の仕事をサボったりはしないはずだ。30年と言わずに、数年後にツケが回ってくる可能性だってあるのに。

 

独身男性増加中、というニュースの真偽

 

 

ニュースを見たり、検索をしていると、「未婚、独身男性、増加中」みたいな情報をよく見かける。ただこれも僕が、自分を正当化する情報をくれ!という眼で探しているという前提ではある。

 

アルゴリズムは恐ろしいもので、気を抜くと、これが世界のスタンダードだと思ってしまう。iPhoneでChromeを開いた際に、毎回日本語ラップグループのTha Blue Harbのニュースが出てきた時期があった。

 

僕は大好きなので、毎回ふんふんとアクセスしていたのだが、「あれ?日本語使える人って、今全員Tha Blue Harb聴いてんじゃね?」と思ったけど、全くそんなことはなかった。俺だけ、周りで。

 

この情報も探っていると、そもそも経済面で難しい、という状況があったりする。子育てまで視野に入れると、お金が到底足りない。だから結婚できまへん、という論調らしい。なるほど。

 

学歴など職務経歴書も、見栄えの良いものでもなく、非正規労働者で、収入は低い。貯金や資産もあまりない。そういう日本経済が衰退したことにとる皺寄せのようだ。

 

大学に行っていても、いわゆるFランで、ブラックな職場に勤めていて、昇給も全然ない。また奨学金の返済もしなければならず、余裕など皆無。そんな人もいるようだ。

 

お金に困っていないのに、結婚してない僕はヤバいのか

 

 

こんなことを考えていると、先ほども触れた朝井リョウの新作「イン・ザ・メガチャーチ」で、お金回りの話が出ていた。

 

「推し活」というのが大きなテーマになっている小説で、少ない手取りの中から、そのお金を捻出するという文脈で、メインキャラの支出が記載されていた。

 

引用

先月の手取りの総額は、177,459円。
家賃、62,000円。水道光熱費、24,312円。日用品費、21,911円。通信費、6,400円。残り38,426円のうち、一万円は貯金用の口座へ。もう一万円は前の職場で同僚に勧められるがまま入ったiDeCoへ。残りの18,426円が推し活に使えるお金だ。

 

30代半ば、未婚、子供いない、女性、というのがこのキャラクターだ。妙なリアルさを感じる。ただ家賃は、僕の方が安い。勝った。勝負じゃないけど。

 

確かにこうだと、なかなか結婚ならびに家庭を持つのは難しいよね、と言える。

 

しかし、僕はそうではない。経済的に困ってはいない。

 

年収は900万円弱。資産は3,700万円を越えた。自慢ではない。むしろお金を言い訳にできない状況だということを言いたい。

 

今更ながら自分のこれまでの人生を振り返ってみると、特定の個人と、円滑で友好的で、かつ頻度の高いリレーションシップを保つのが苦手な気がする。

 

一人の時間が好きというのはある。ただもしかすると、苦手だからこそ、一人の時間が好きになった、という因果関係かもしれない。自分のことなのに、ここら辺はもう客観的に見れなくなってる。

 

ありがたいことに僕の会社は、待遇面ではそれなりに手厚い。外資の金融とか、コンサルとか、上を見ればキリはないけど、偏差値で言えば、地方の進学校くらいな感じではある。

 

「好き!」という気持ちの最大風速、もう更新されない

 

 

世間一般では、未婚男性も多いのだけれど、こと社内の同じような収入の同世代を見ると、ほとんど結婚をしている。

 

となるとこれはもう完全に僕個人の問題だ。「結婚なぁ、した方が良いのかなぁ」と思っていたのだけれど、冷や水を浴びせられるような瞬間があった。

 

仲の良い女性の友人と食事をしていた時の話だ。その女性はつい最近結婚をして、その話などを伺っていた。

 

その中でふと、「昔の恋愛で感じていた「好き!」っていう気持ちを、もう越えてこないんだよね。人生最大の「好き!」が更新されたら良いなって思うんだけど」みたいなことを言った。

 

すると返す刀で、「そんなこともうねぇよ、割り切らんかい、このタコ!」って言われた。もちろん言葉遣いはもっとキレイで穏やかだったけど、内容としてはこの通り。

 

恋愛と結婚は違うんだな、というクリシェを今更ながら噛み締める。現実はシビアだ。人生である程度のことは乗り越えられた気もするけど、結婚だけはしているイメージが湧かない。

 

結婚する気がない、と言っていたけど、多分僕は結婚できないような気もする。「気が乗らないんですよね」って言葉を隠れ蓑にしている弱虫なのかもしれない。涙出そう。

 

ただ難しく考えても仕方がない。結婚は目的ではなく手段、というスタンスは変わっていない。ということでまずは彼女を作ろうと思う。

 

見た目がタイプな彼女が、まずは欲しい

 

 

異性に求めるものは、いくつかある。上から目線になるけど、女性だって男性に求めるものも多いんだから、許してほしい。

 

ただ、家事は自分でできるし、収入面でのサポートは今のところそこまで求めていない。趣味の話が合うなどもあれば良いのだけれど、高望みな気もする。

 

ということで、僕はとにかく見た目がタイプな女性と付き合いたい。ルッキズムをガン無視している。

 

結婚したとしても、幸福度が上がるかなど分からない。そもそも子育てしたくない。となると、その女性と二人になる。

 

「なんか一緒にいてて面白くないな」という人と、同じ屋根の下で暮らすことになるかもしれない。一人でいるよりも、孤独感を感じるかもしれない。

 

10年一緒に過ごして、離婚みたいな話になって、財産分与で資産を持っていかれて、気が付いたら40代半ばバツイチが爆誕しているかもしれない。これもキツい。

 

色々考えると、「見た目がとにかくタイプ」というのが、やはり僕にとって重要だ。ここさえクリアしていれば、多少は乗り越えられる気がする。

 

「見た目から始まる恋愛はあるけど、見た目で終わる恋愛はない」と、大学の女性の先輩が言っていた。当初は「良いこと言うやん!確かにフラれる理由が見た目ってことはないもんね!」と思っていたけど、全然そんなことはない。

 

所詮は20代前半の若者の、フッワフワな意見である。少なくとも僕は見た目が好きでないと、持ち堪えれない。ケンカをした際に、「この人と仲の良い関係に戻りたい」というモチベーションがまるで湧かなくなる。

 

ということで、僕の網膜のテンションを、劇的に上げてくれる女性と時間を一緒に過ごしたい。その結果「やっぱり見た目じゃないよね」って結論になったら、それはそれで成長として捉えたい。

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