アートと聞いて、どんなイメージを持ちますか?苦手意識を持つ方も多いのではないでしょうか。 かくいう僕もそうでした。
思えば中学校の時に、最も苦手だった科目の一つが美術。5段階評価で2をとることもしばしばありましたね。高校では選択をせず、そこから美術やアートは自分に縁がないものだと思ってここまできました。
ただ最近アート思考という言葉をしばしば耳にしたり、大人こそアートを学ぶべきだという話を聞きます。
なんて意識になってきた。僕もアートに関して、もう一度理解してみたい。そう思って、本を読み、実際に美術館に訪れたりしてみました。そうすることで、徐々にアートが分かってきたんです。
・芸術ってどこか敷居が高くて、近寄りがたい
という人にむけて書きました。
最初に結論から!
- 世の中には、アートを難しく考えすぎている人が多い
- 東京都現代美術館で、「13歳からのアート術」でお勧めされたアウトプット鑑賞をしてみた
- 自分なりの考えがあり、それを表現できれば僕もあなたもアーティストになれる
僕は美術に対しての苦手意識があった
僕は高校は公立を志望していました。そのために、内申点が必要不可欠だったのです。当日点6割5分、内申点3割5分くらいの内訳だったでしょうか。試験を受ける前に、35%はもう決まってしまっているという恐ろしさ。
中学校2年生からの内申点が反映されるので、中学2・3年は大人のご機嫌とりに終始していたと思います。テストでいい点数をとる、提出物を出すのは基本。さらに授業中にポーズでも良いから、意欲的な態度を見せたり。
その甲斐あって、平均以上の内申点をとることができ、無事に希望していた公立高校に進学できました。良かった、良かった。
ただこの時の弊害で、大人に対して不信感を持つ様になってしまった。自分が大人になった今でも、そのパンク精神が抜けきらず、上司からの評価はすこぶる低いのですが。笑 まぁ、それはまたいつかの機会に。
国語、数学、理科、社会、英語は何とか全部5をとれた。しかしネックがあった。それが美術。一回も5をとれたこともなく、4もなかったかも。良くて3、2とることも当たり前。
と14,5歳にして悟ってしまったんですね。実際にめちゃくちゃ絵が下手だったし。
今から思うと、美術の成績の付け方ってあまり良いシステムじゃない。ペーパーテストで、絵画・彫像の作者を聞いてくる。ただの知識問題。授業中に書いた絵なんかも、純粋にそれが上手いか下手かで見てくる。
多くの人数を見ているから仕方ないのかもしれませんが、どこか表面的だったななんて思うんですね。しかしそんな義務教育にしっかり打ちのめされ、僕は美術・アートに対する苦手意識を抱えてしまったのです。
と何を提出しても、第一声は褒める。全くダメ出しをしない。でもしれっと2をつけてくるそんな先生だったな、確か。苦手だったわぁ。
「13歳からのアート思考」を読んで
何かが変わるには、きっかけが必要だ。大きくても、小さくてもいい。何か自分の中で目から鱗なことが起こる必要がある。
近年アート思考というワードをよく聞く様になりました。でもどこまでいっても、
ってどこか他人事だったんですね。自分には絶対に獲得できないスキルだと思っていました。アートは自分には無縁。え、なんですか、引っ越しかなにかですか。
ところが、その中で僕に大きな発見をもたらしてくれたのが、「13歳からのアート思考」という本でした。書店で見かけて気になっていたものの、なかなか手が出なかった。自分には関係ないと思ってたし。
ところが以前に実家に帰った際に、弟がなんとこの「13歳からのアート思考」を購入していたんです。
ということで借りて読んだ。目から鱗だった。たぶん僕は、というかあなたは、いやいやもっと多くの人が、アートを必要以上に難しく考えすぎていることが分かったんです。
上手ければアートというわけではない、キレイな絵を書いたからアートってわけじゃない。 アートにとっての本質は、見出されるまでの過程の方にこそにあるんです。
アーティストは次の3つの過程を行って作品を生み出しているんですね。
- 自分だけのものの見方で世界を見つめる
- 自分なりの答えを生み出す
- それによって新たな問いを生み出す
できた作品の見栄えがいいか悪いかは二の次なのです。アート思考とは、自分の内側にある興味をもとに、自分のものの見方で世界を捉え、自分なりの研究し続けることなんです。
これが面白い。その人の思考とか、考え方とか、価値観にこそ意味があると。僕みたいな手先が不器用で、汚い字しか書けなくて、絵心がない人間でも、アートはできるのです。
ここでちょっと考えてみましょう。音楽聴きますよね。世界的に売れている曲でも、好きじゃない。全然どマイナーだけど、自分は好き。こういうケース珍しくないと思います。
不思議なもんで、音楽においては自然にその作品とやりとりができるんですね。僕も実際にできている。聴いて、「ああ好きだなぁ、悲しい気持ちで作ったのかなぁ」なんて思いを馳せれる。
しかしこと美術になると途端にできなくなるんですね。急にビビっちゃう。作品とのやりとりは、作者の思いとこちらの解釈のフィフティーフィフティーで作られるものなんだそうです。
鑑賞者が想像をふくらませる余地が残っているのかが大事なんですね。アートの本質はできた作品の美しさにあるわけじゃないんです。アーティストの内側にある興味をもとに、自分のものの見方で世界を捉えて、自分なりに探求を続けることにこそ意味があると。
自分なりの物の見方や考え方がぼやけてきたら、アートは優れた刺激剤となる。自分なりの考え方を取り戻したい人にはうってつけの教材。これはね、かなり目から鱗でした。
勝手に自分で抱えていた、美術に対する苦手意識がどろどろと溶けていきました。
- 作者:末永 幸歩
- 発売日: 2020/02/20
- メディア: Kindle版
東京都現代美術館に行ってきた
アウトプット鑑賞をしてみよう
「13歳からのアート術」に、オススメのアート鑑賞法が紹介されていました。それはアウトプット鑑賞というもの。
やり方は簡単。アートを見ながら、2つの問いかけを自分にぶつけるだけ。
- どこからそう思うのか
主観的に感じた「意見」の根拠となる事実を問う - そこからどう思うのか
作品など「事実」から、主観的に感じた意見を問う
感じた意見には、発見した「事実」を。逆に「事実」に対しては「意見」を。これを口に出したり、紙に書き止める、これがアウトプット鑑賞です。
僕と清澄白河とマーク・マンダースと
この機会に、東京の清澄白河駅から歩いて10分程のところにある東京都現代美術館に行くことにしました。
行った時は、マーク・マンダースという方の企画展をしていました。よく分かりませんが、マンダースさんの作品縛りなのでしょう。ワンマンライブと同じですね。
ちなみに、簡単なマンダースさんの経歴を。
1968年オランダのフォルケル生まれで、現在43歳、まだ若いですね。現在はベルギーのロンセにスタジオを構えています。
1986年、18歳のときに、自伝執筆の試みを契機に得たと言う「建物としての自画像」という構想に沿って、以降30年以上にわたって一貫した制作を続けているそうな。
なんか分かったような、分からんような。。。とにかく作品を観ていこう!
かっこいい。なんや分からんけど、いかすぜ。ちなみに実物はかなり大きいです。縦で2.5〜3mはあるんじゃないかな。
マンダースの作品は、なぜかほとんどが石膏でできているんですね。そして必ずどこかが欠けている。キレイな状態で、顔や全身が揃っている状態の人間はいないのです。
マンダースの人間観が出てるのかな。人間は不完全で冷酷な生き物ものだから、欠けているし石膏でできているんだろうか
なんて頭に浮かんできます。合っているかは知りません。う◯こ考察かも。でもとにかく僕はそう感じた。これでいいのだ。
今度は胸像。見ての通り、顔の左目にみんな黄色い板が打ち込まれています。何かを表現しているんでしょうか。
リップクリームあげたくなるくらい、カサカサの唇です。それはいいか。ひとつ思ったのは、マンダースは自分の顔の左側に何かコンプレックスがあったのかなということ。
大きなアザがあるとか、目が上手く開かないとか。イギリスのバンドRadioheadのボーカルであるトム・ヨークも左目のまぶたが上手く開かなくて、何度か手術したみたいな話あったし。
それに先ほどの顔の像も、欠けていたのは顔の左側でした。きっと人間の左側に何か問題意識があったのでしょう。左目は図形処理をする右脳に繋がっているみたいな話を聞いたことがあります。合っているかは知りませんが。
文字処理を司る左脳に処理してほしいということなのでしょうか。色々考えてみると、面白いですね。
たぶん。食卓から逃げられていないもん。飛び出そうとしても、固定されてしまっているし。そしてこの作品を見た後に、出てきたのがこちら。
首の角度とかも同じだし、描かれている女性像は同じだと思うんですよね。家庭から解き放たれ、安住の地を見つけたのでしょうか。そうであってほしいなぁ、希望があるもの。
スタッフの休憩所じゃないです。これも作品。 椅子と服も含めてこれも作品なんです。僕はこれを見て、不吉な予感がしたんです。
もし僕が服を脱いで休むなら、靴は服の上に置きません。不衛生だし、下着やパンツを履いてから靴も履く。こんな置き方をするってことは、「脱いでたたんだけど、もう着ませんよ」って意思表示な気がするんです。
もしかしたら、人生最後の瞬間を暗示しているのかも。
アートは特別な人だけがすることじゃない
ハライチ岩井の現代アート論
東京都現代美術館に行って感じました。面白いですね、アートって。自分で好きに解釈して良いって思うと、気が楽です。自分なりの価値観、考え、語彙の中からしっくり来る言葉を見つけるゲームみたい。
僕はラジオを聴くのが好きで、芸人コンビハライチの「ハライチのターン」という番組をよく聴いているんです。僕が高校生の時くらいにブレイクし、まさに僕の青春時代をともにした漫才コンビなわけです。
そのハライチのボケ担当の岩井勇気さん。昔は「暗そうな人だな」とか思ってました。Wikipediaに、「髪型は成宮寛貴を意識している」と書いていて、「うーん、なんかダサいな」と成宮寛貴ファンにも関わらず感じたこともあったっけ。
ただラジオを聴いているうちに、段々岩井勇気のオリジナリティある笑いの魅力に気付いていったんですね。物事を表面でなく、穿って、人とは違う角度で、普通とはかけ離れた感覚で、捉える姿勢にくらっときたと。
- 作者:岩井勇気
- 発売日: 2019/11/15
- メディア: Kindle版
そんなハライチファン、ひいては岩井ファンの僕は、彼のエッセイ「僕の人生には事件が起きない」を読んだんです。
図書館で予約していて、半年くらい待ちましたね。美術館に行った次の日に、やっと借りることができました。
驚きました。なんと、そのエッセイの中に、現代アートに触れていたものがあったんです。シンクロニシティってやつでしょうか。 シンクロ率100%です。
書いている内容はざっくりこんな感じ。
- 現代アートは大喜利に似ている
- 大喜利をやる上で、もちろん面白い答えは大事。でもその次に重要なのが他の人が思い浮かばないような答えを出すこと。とにかく頭をひねって色々な角度からお題を見て回答を考えることが欠かせない。
- 現代アートを見ていると、大喜利の回答の様なわくわく感が湧いてくる。作品のコンセプトを決めてから制作している芸術家と、完全に逆の手順にはなるが、現代アートはそういう視点で楽しめるものだ。
やはり解釈は鑑賞者である僕らが好きにしてもいいんですね。その出来でなく、その制作者が何を表現しようとしているのかを僕らで推測してみるのです。ぱっと見が、上手い・上手くないって話じゃないんですね。
僕もアート作成をしてみた
そんなわけで、僕もアートを書いてみたくなりました。アートは誰にでも、門戸は開かれているのです。僕にもできるはず。
常々、「人間って、善の面と悪の面を持っているけど、悪の面の方が大きいよね」って思っているんです。僕自身で考えても、人を祝福する気持ちよりも、人を妬む気持ちの方が強いし。
周りに誰に対しても笑顔を絶やさない温厚な人ほど、裏で手厳しく周囲の人を判断していたりするし。人って怖い生き物、何考えているか分からないし。というか自分も嫌いな人にも、態度には出さず笑顔で接しているし。
そんなコンセプトをもとに、イラストを描いてみようと思ったわけです。
絵のできばえはさておき、自分の見方で世界を捉え、表現することができました。アートってこういうことです、たぶん。 僕もアーティストの仲間入りです、おそらく。この絵も、いつかバンクシーの目に止まる日が来ます、Maybe。
【関連記事】アートを感じる映画「her/世界にひとつの彼女」
映画が好きで、年間に150本くらい観ています。観ているとそりゃアタリもハズレもある。その中で、僕が大好きで、最高にオシャレで、アートを感じる映画が、「her/世界にひとつの彼女」。
オシャレな映画を観たい、って人にはうってつけです。
【関連記事】愛されるデザインには、雑さが必要
僕が長年愛用しているものにはある共通点がありました。それは少し「雑さ」があること。もっと柔らかい表現にすれば、「コミカルさ」、「抜け感」があるという感じ。
G-SHOCKや、MacBookのロゴなど、スタイリッシュ100%じゃない。長く使うためには、どこかに肩肘の抜けた要素が必要なんです。
まとめ
では、最後にもう一度この記事をまとめます。
- 世の中には、アートを難しく考えすぎている人が多い
- 東京都現代美術館で、「13歳からのアート術」でお勧めされたアウトプット鑑賞をしてみた
- 自分なりの考えがあり、それを表現できれば僕もあなたもアーティストになれる
もうアートは恐るるに足りません。身近にあるのです。というか僕やあなたからも生み出すことはできるのです。
これからもっと色々な美術館に行ってみたい。そして海外旅行に行った時だけ、記念に美術館に行くみたいな習性を改めたい。。。
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